“ばあちゃん家の隣”で磨いた武器 中3で完全試合→日本代表…20歳左腕の少年時代
中体連決勝で完全試合…日本ハム根本悠楓のだれにも負けない実績
日本ハムの20歳左腕・根本悠楓投手は、中学時代に誰にも負けない実績がある。3年時の全国中学校軟式野球大会の決勝で、投手として完全試合を達成し日本一に輝いたのだ。小さな町の中学校の快挙は、地元で大きな話題となった。そこに至るまでには、どんな少年時代を送っていたのだろうか。
根本が野球を始めたのは、北海道・白老町の少年野球チーム「虎杖浜タイガース」だ。小学校3年生の時にチームへ入った。全校で60人ほどという小規模校だったが、野球をやっている子は10人前後いたという。ただ「弱かったんで……。本当に勝ってないです」。町にあった5、6チームのうち、決して強い方ではなかった。
チーム入りのきっかけは「考えたことがないですね」というくらい自然だった。2歳くらいから、ボールで壁当てをしている子どもだったからだ。
中学校に進む際には、通っていた白翔中の部活動で軟式野球を選んだ。「硬式のチームは近くになくて。一番近くても苫小牧で、通うのに40分はかかる。だったら部活でいいや」という理由だった。当時から投手で「球は速かったと思いますよ。投げるのと飛ばすのが好きでしたね。4番を打っていましたし」。
中学校は3校が合併した直後で、1年生の時のチームも強かった。そして自らの代では、これ以上ないという形での日本一。「完全試合をしているってわかってはいましたけど、優勝したことのほうがとにかくうれしくて」。大会後には、U-15日本代表にも選ばれ、現在ヤクルトでプレーする内山壮真捕手らとともにアジア選手権で優勝した。
「ばあちゃんの家の隣」で続けた練習が今の自分を助けている
日本代表に加わった経験は、根本をどう変えたのだろうか。「レベルは高いなと思いましたけど、投手ではこの中でもやっていけないことはないと思いました。バッティングがすごかった。自分たちのチームも振りは鋭かったと思いますが、ジャパンに行ったら本塁打がボンボン出て」。何より驚いたのは、野球への考え方の違いだった。「1人でも考えて取り組めるようになったのは、高校でも生きたと思います」。
苫小牧中央高に入学し、硬球を握った。プロ野球選手となった今、少年時代を振り返れば「僕は軟式で良かったと思います」という言葉が口をつく。「中学で硬式をやっていたら、肩肘に負担がかかっただろうなと思いますし。ただ野手なら話は違うかもしれません、高校に入った時、ボールの飛ばし方がわからなくて『差があるかな』と感じたことがあるので」。
現在はボールのキレで勝負する左腕として、先発ローテーションの一角を狙う。記憶がないくらい小さなころから続けてきた「壁当て」が、成長を助けてくれたのではないかという。
「ばあちゃんの家の隣に水産工場があって、壁にシミとか汚れがあったんですね。そこを狙って腕を振ることで、コントロールが鍛えられたのかなと思います。ガラスを割っちゃったこともあったかな……」。幼いころから磨いてきた武器を生かして、プロで羽ばたこうとしている。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)
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