日本残留を検討も…オファーを蹴って選んだマイナー契約 元助っ人が選んだ“茨の道”

カブスのエドウィン・エスコバー【写真:ロイター】
カブスのエドウィン・エスコバー【写真:ロイター】

カブスに移籍のエスコバー、家族との時間を選んだ人生

 日本で培った経験を生かし、奮闘を続ける。昨季までDeNAでプレーしていたエドウィン・エスコバー投手が、日本で過ごした7年間に感謝の言葉を述べている。今季はカブスでプレーするエスコバーは「日本で多くの経験を得て、野球への知識も増えた」と感慨深そうに話している。

 米地元紙「シカゴ・トリビューン」では「エスコバーのモチベーションは?」と題して、31歳左腕を取り上げている。カブスでもチームメートとなった今永昇太投手と鈴木誠也外野手が談笑している姿を確認すると、スムーズな日本語で会話に入り込んだ。

 クレイグ・カウンセル監督が「彼(エスコバー)はショウタの第2の通訳なんだ」と笑顔を見せるほど、雰囲気の良さが醸されていた。4月で32歳になるエスコバーは日本での7年間で「多くの経験を得て、野球への知識も増えた」と語っている。

 同紙によれば2024年シーズンのオファーもあったが、NPBを去る決断を下した。その理由は「家族のため」だった。家族の近くでプレーしたかった。新型コロナウイルスの影響もあり、2020年からは日本でプレーするならば8か月間は日本で過ごさなければならなかった。

 その期間は3人の子どもたちと会えず、13歳のドミニク、8歳のダンナ、4歳のエヴァンの肖像画のタトゥーがモチベーションとなっていた。家族のことを考えたため「(米国に)戻ってくる決断がしやすかった。家族みんなで一緒にいられる瞬間を待ち望んでいた。朝起きると家族に会えるし、彼らは僕が投げるところを見ることができるんだ」と話している。

よく聞かれた「ずっと日本に居たいか?」の質問

 日本では救援左腕として、日々ブルペン待機を続けた。「タフだったけど、今ではほぼ毎日ブルペンから出てくることができるようになった。それはとても大きい。それができる人は多くない。そうやって力をつけることができた」。得たものは多かった。

 エスコバーは2017年に日本ハムに加入。同年途中にDeNAに移籍した。2019年には74試合に登板するなど中継ぎとして長く活躍。今季は40登板で2勝1敗11ホールド、防御率4.55。NPB通算7シーズンで395登板、22勝23敗5セーブ147ホールド、防御率3.17だった。

 エスコバーは日本でプレーすることが、メジャーでのプレー機会の「終わり」を意味するとは思っていなかった。「『ずっと日本に居たいか?』と、よく聞かれた。よく分からないけど、いつかはアメリカ、MLBに戻ってくるような気がしていた」。昨季終了時、エスコバーは妻と話し合った。一時はもう1年日本に残ろうと考えていたこともあったが、新たな挑戦の準備はできていると感じたのだった。

 スプリングトレーニングの招待選手であるエスコバーは、カブスの開幕ロースター入りを勝ち取る必要がある。ただ、エスコバーにとって、家族と一緒に過ごしながら、メジャー復帰することができれば、夢のようなことだ。「(来日から)7年経って、素晴らしいチームメートとこのクラブハウスにいることができて、毎日を楽しんでいるよ。大好きなことを続けることができて幸せだ」。充実の人生を送る決断は間違っていなかった。

(Full-Count編集部)

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