無欲だったドラ1、怪我が再発も「まぁいいか」 2軍降格を覚悟も…怪物撃ちで手にした“仕事場”|球界群像 西田真二#11
広島時代の西田真二氏【写真提供:産経新聞社】充実した広島の外野陣、西田氏が抱えた弱点
欲がなかった。1982年の広島ドラフト1位外野手・西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は代打からプロ人生をスタートさせた。「腰痛もあったし、守りがいい方じゃなかったんでね」。とはいえガムシャラにレギュラー取りを目指していたわけではなく「あの時は“代打でいいか”ってなっていた。まだ若かったのにね」と苦笑する。プロ5打席目に巨人・江川卓投手から初安打を放ったが「打ってなかったら2軍だったでしょうね」と話した。
法大からドラ1入団の西田氏の背番号は28に決まった。「一応、希望としては大学の時に24と28だったんで……。24は“ニシ”でいいなぁと思ったけど、24は大野(豊)さんだったからね。28はちょうど空いていたし、衣笠(祥雄)さんも若い時につけられたってことでね」。即戦力外野手と期待されてのカープ入り。練習がハードな球団と噂されており「どんなものなのかなぁ、とは思いました」と言う。
「要領がわからなかったし、初めはやらされているって感じだったけど、そんなにしんどいとは思わなかった」と西田氏は話したが、その一方で「腰痛があったのでね。その辺は気にしました」と明かす。PL学園2年(1977年)夏に「第五腰椎分離症」を発症。懸命の治療でプレーできるまでに回復させたが、完治したわけではなかった。「毎年、梅雨の時期になると重くなるとかもあった」と言い、法大時代も再発させないように神経をとがらせていたそうだ。
それはプロ入りしてからもそう。まずは腰に負担をかけないことが第一で「いかに楽して打てるか、ということを考えた」と西田氏は語る。プロ1年目のキャンプ、オープン戦はそんな背景もあって出遅れて「開幕して最初はちょっと2軍にいた」。その後1軍昇格も立場は代打要員だった。だが「あの頃はそれでも“まぁいいかな”って思っていた」。法大の主力打者でドラフト1位でも「まだ若かったのに、僕には何か欲がなかったんですよねぇ」とも口にした。
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】法大の先輩・江川からプロ初安打「手を抜いてくれたんじゃ」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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