ヤクルト夢の宴の余韻が冷めやらない ファンの涙が止まらなかった理由
Twitterに感想を記すと「私も涙が出ました…」とファンからのメッセージが…
ヤクルトの球団設立50周年を記念したOB戦「オープンハウス presents スワローズ ドリーム ゲーム」(11日、神宮球場)を取材する側ではなく、スタンドで観戦した。様々な魅せるプレー、演出により、声を出してたくさん笑ったのと同じくらい、私は胸がいっぱいになり涙が出た。自身のTwitterで直後に感想を述べると、「私も涙が出ました……」「僕も泣けてしまって…」そんな感想がたくさん届いた。一夜明けてもふわふわとした夢のような感覚は私から抜けず、改めて、なぜ私はあの試合で涙が出たのか、改めてじっくり考えてみた。
一つはやはり野村克也元監督「ノムさん」の存在だ。名前が場内に響き渡り、その姿を目にした瞬間込み上げてくるものがあり、真中満前監督や古田敦也元監督がその歩行を支える姿を見るともう胸がいっぱいになった。とはいえ、私がスワローズの取材を始めた15年前、ノムさんはヤクルトにはいなかった。
監督としてヤクルトを率いる姿を直接は見ていない。なのにどうしてこんなに私の中で大きい存在なのか。私をヤクルトファンにしたのは父だ。野村監督を野球選手の中で最も尊敬する人と答えるほど好きで、野球を詳しく知らない少女時代の私の中にもノムさんはすごい人、という認識があった。
そんな中、私が2004年からプロ野球の仕事(前職・ニッポン放送アナウンサー)に就き、古田敦也さんがプレイングマネージャーになって「ID野球の申し子」という言葉を聞き、そのことについて少しでも知ろうと名将の本を読んでいったりする中でその偉大さをどんどん知った。
誰もが知るように、野村ID野球は、データを駆使し、科学的に分析してプレーをしていく。科学的、つまり、誰もが同じ結果を出せることを追求した野球であり、それをきちんと知って自分の中に取り入れることにより先を読む力が発揮できるようになる。もともとある力に「考える力」が加わることで、さらなる結果を残すことができるはずなのだ、と。教えは厳しく難しいと聞くけれど、習得することできっと新たな視点や自分の売りをも見つけられるのではないかと私は理解した。
そして、きっとどんな仕事にも通じるとも思った。
また野村監督には「言葉」があることにも惹かれた。その言葉は、科学やデータとは反対に位置づけられる「経験則」にも裏付けされた言葉で、IDだけでなくそれらがあるからこそ、温かみやその奥深さが人々に伝わり、多くの人がその魅力にはまっていくのだと感じた。そんな風に知っていくうちに、ノムさんの監督時代をも自分は見ている気にすらなっていたことに、今回のOB戦で自分の流した涙から気が付いたのだ。実際に野村監督とともにヤクルトを歩んできた人々は、私以上の感覚を持っていたのだと思う。
新しくファンになる人たちをヤクルトの先輩ファンは待っていて、すぐに仲間に入れてくれる。ノムさんはじめ、スワローズの歴史をいつも楽しそうに語り、教えてくれる。そこに流れる「ヤクルト愛」は脈々と受け継がれ、神宮に集い日々一緒に応援する。その絆を、私はあの空間で目に見えるほどに感じたのだ。大げさかもしれないけれど、ファンとしてもスワローズの大きな歴史に加われた、そんな感覚が感慨深かったのだ。