困ったら原点へ DeNA三浦、25年の現役生活の支えとなった恩師の金言
礎となった名伯楽・小谷氏の教え、恩師の最初の助言を守り抜いた現役生活
ハマの番長こと、横浜・三浦大輔投手兼任コーチが現役引退を発表した。20日の記者会見では涙を浮かべる場面もあり、「25年間、横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。いろんな思いがありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです」と心境を明かした。
三浦は苦しく、長い練習をひたすら繰り返すことができる選手の1人だった。ドームを本拠地としない横浜スタジアムでは、真夏に灼熱の太陽が照りつける中、投手はランニングを行う。それを率先してやっていた。開場前にはスタジアムの階段を上り下りしたり、時にはスタジアムを飛び出して、気分転換に横浜市内を走り抜けた。投手の基本は走ること。それは最後まで忘れなかった。時間があれば、走っていた。
25年前の出会いがなければ、ここまでやって来られなかったかもしれない。1991年、奈良・ 高田商からドラフト6位で前身の大洋ホエールズに入団。1年目から1軍のマウンドに立ったが、特にボールが速いわけでもなく、変化球がずば抜けていたわけでもなかった。
出身の奈良県内では力のある投手として知られていた。三浦も自信を持ってプロに入ってきたが、自分の周りはもっと球の速い投手、もっと体の大きな投手だらけだった。当時の投手コーチは現在、ロッテで2軍投手コーチを務めている小谷正勝氏。名伯楽の言葉が三浦の原点だった。
小谷コーチは三浦だけではないが、高校から入団してきた投手に「お前らが活躍するにはここにいる誰よりも練習をしないといけないんだよ」と伝えている。その言葉に聞く耳を持ったものは成功をつかんでいる。ヤクルトの五十嵐亮太や巨人の内海哲也、高卒ではないが育成から這い上がった山口鉄也らも同じだ。三浦の礎は、入団間もない頃から走り続けて鍛え上げた下半身にある。