戦力外の瞬間は「ほとんど言葉覚えてない」 1年前の経験者が語る生々しい経験
ロッカーに来たマネジャーの姿で察知「あ、俺だ。クビだ」
だんだんと日差しの鋭さがなくなってくると、この季節が来たのだと思う。プロ野球12球団では、来季構想外となった選手への戦力外通告が本格化する。多くが現役のユニホームを脱ぐ野球人生の大きな分岐点。その瞬間を1年前に経験した元外野手は、今でも生々しく覚えている。
2019年9月30日。中日2軍のナゴヤ球場で、朝から練習に励んでいた。ウエスタン・リーグは終了し、秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」を控えた時期。プロ5年目を迎えていた友永翔太さんは、午後からの個別練習に向けロッカーでスパイクに履き替えていた。
そこに2軍マネジャーが入ってきた。室内にいた7、8人の選手の体が一瞬、強張った。「時期も時期。みんな何かは分かります」。入団してから毎年、他の選手の同じような状況を見てきた。ざわつくロッカー。「トモ、マネジャー室にきてくれる?」。その一言で、全てを察した。
「あ、俺だ。クビだ。この時が来たんだ」
翌日の10月1日に球団事務所に行くよう指示された。第1次戦力外通告の日だった。放心状態のまま名古屋市内で一人暮らしをするマンションに帰宅。どうしても、うまく寝つけない。家族には連絡する気になれなかった。
「戦力外だって頭では分かってはいたんです。でも、もしかしたら明日、違うことを言われるんじゃないかって、変な期待も捨てられなくて……。自分の中でどうしても信じたくなかった。だからその時は、親にも言いませんでした」
当時の落合博満GMの目に留まり、日本通運からドラフト3位で2015年に入団。左打ちの即戦力外野手として期待されたが、飛躍のきっかけをつかめないまま時が過ぎていった。大学、社会人をへていたため、3年目を終えた段階で26歳。プロ人生の終焉を意識するようになった。
4年目の18年は1軍出場ゼロ。8月ごろになると、2軍コーチが発破をかけるように言った。「こういう時期になってきたし、成績出して1軍に上がれるように覚悟を持ってやれ」。もちろんシーズン当初から懸命にプレーしてきたが、選手たちの目つきがさらに変わる。「僕自身もその年で最後だと思ってやっていました。この試合が最後になるかもと思って臨んでいた選手もいると思います」。まさに崖っぷちだった。