指導歴42年…イップスも「直し方が分かる」 “北の名将”が進化し続けられる訳

クラーク記念国際・佐々木啓司監督【写真:石川加奈子】
クラーク記念国際・佐々木啓司監督【写真:石川加奈子】

クラーク記念国際の佐々木啓司監督が語る指導論、最終第4回は「指導者」

 時代とともに変わっていく高校野球の世界。もちろん教える立場も、その変化に柔軟に対応していかなければいけない。駒大岩見沢を率いて春8回、夏4回の甲子園出場に導き、現在率いるクラーク記念国際でも夏1回の経験を持つ佐々木啓司監督が指導論を語る連載企画。全4回の最終回は「指導者」について語る。

 佐々木監督が駒大岩見沢時代から継続する球児の体力測定。歴代最高値を叩き出したのは、春の選抜に初出場して8強入りした1983年のチームだったという。「あのチームに今の指導をしていたらすごいことになっていた。だから、指導者は勉強しなきゃいけないんだ」と自らを戒め、進化を止めることはない。

 22歳で母校の監督になった時から勉強を重ね、わずか5年で甲子園初出場に導いた。90年代後半には「スリーライン」と呼ぶ独自の打撃指導法を確立した。速球、外に逃げる球、落ちる球の3パターンに対するバットの軌道を3つのラインで示し、スイング軌道を体に覚えさせる。そこからコース、高低とパターンを広げ、様々なボールへの対応力を高めていく。試合中は投手によって「速い真っすぐに1のラインへ行け」といった指示を出す。

 このスリーラインを打撃指導の柱にして、駒大岩見沢時代に強打のヒグマ打線を作り上げた。「昔はこうでないとダメと縛りつけていたけれど、今はこういう打ち方もあるんだなと許容範囲が広くなった」という佐々木監督の言葉は、指導者としての引き出しが増えている証拠だ。

 “北の名将”はアイディアマンでもある。力んで打撃の調子を崩す選手が多いことに頭を痛めていた佐々木監督は、クラーク記念国際の野球場建設に際して、自然を利用した。本塁からバックスクリーン方向に風が吹くような配置にしたのだ。追い風に乗って気持ち良く飛ばす感覚を養うことで、今夏には4戦連発を放った高校通算35本塁打の金原塁内野手(3年)ら強打者が育っている。

 強打のイメージが先行するが、守備も重視している。「守備から攻撃というリズムだよね。攻撃は失敗がない。ただ打てないだけ。でも守備は違う。アウトを取れないと、その選手の居場所がなくなってしまう。守って、安心してプレーできる自分をつくることが大事」と語る。

「ノックを打って子どもたちを成長させ、通じ合うものがある」

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