父には言えなかったプロ志望… 先輩との食事で一変、元阪神ドラ1を変えた出会い|球界群像 的場寛一#8
ノートに目標を書き込んだら……。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏は九州共立大3年の1998年シーズンからめきめき頭角を現した。福岡六大学野球春季リーグで首位打者に輝き、優勝に…
父には言えなかったプロ志望… 先輩との食事で一変、元阪神ドラ1を変えた出会い|球界群像 的場寛一#8
ノートに目標を書き込んだら……。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏は九州共立大3年の1998年シーズンからめきめき頭角を現した。福岡六大学野球春季リーグで首位打者に輝き、優勝に…
阪神ドラ1が味わった「地獄」 両親、スカウトの前で“失態”…頭によぎる4年生の涙|球界群像 的場寛一#7
大学球界のスター選手を研究した。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏は九州共立大に進学してから飛躍したが、最初から順調だったわけではない。1997年の大学2年の全日本大学選手権で…
美容師志望→阪神ドラ1に「バカたれ、考え直せ」 監督から説教…決まっていた進学先|球界群像 的場寛一#6
野球とは違う世界に進む可能性もあった。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏は1996年、愛知・弥富高(現・愛知黎明高)から九州共立大に進学した。そこで大学球界ナンバーワン遊撃手と…
最後の夏も予選敗退「やっと終わったか」 無敗の相手に“ボロ負け”…縁がなかった聖地|球界群像 的場寛一#5
驚異の韋駄天ぶりに衝撃を受けた。元阪神内野手の的場寛一氏は愛知・弥富高(現・愛知黎明高)で1993年の1年秋からレギュラーになったが、甲子園には出場できなかった。中京、愛工…
聞いたことない高校進学、誤算だらけに「ミスった」 後悔も…運命変えた名将との出会い|球界群像 的場寛一#4
熱心な勧誘に心を揺さぶられた。兵庫・尼崎市出身の元阪神ドラフト1位・的場寛一氏は高校から地元を離れ、愛知・弥富(現・愛知黎明)に進学した。当時の弥富・金城孝夫監督からスカウ…
阪神元ドラ1「目立ったら面倒くさい」 補欠の中学時代、監督は父…「完全に挫折」|球界群像 的場寛一#3
伸び悩んだ。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏は小学5年からボーイズリーグ「兵庫尼崎」に入った。小学生チームでは主力として活躍したが、中学生になってからは途端に結果を残せなくな…
伊良部秀輝に“暴言”連発…「頭を叩いていた」 叶わなかった共演、父が明かした伝説右腕の素顔|球界群像 的場寛一#2
あの背中は忘れられない……。元阪神ドラフト1位の的場寛一氏はボーイズリーグ「兵庫尼崎」出身だが、当時、大きな励みだったのが、チームの先輩である8歳年上の伊良部秀輝氏(元ロッ…
元阪神ドラ1は「期待外れだった」 父を落胆させた努力嫌い…利き手なのに断念した左打ち|球界群像 的場寛一#1
プロ野球は当然ながら競争の世界だ。毎年、夢をかなえて入団する選手がいる一方で、志半ばでユニホームを脱ぐ選手もいる。元阪神内野手の的場寛一氏は1999年ドラフト1位の栄光を手…
阪神“暗黒時代”は「つらくはなかった」 5度の最下位も…忘れられない“追い風”|球界群像 田村勤#16
阪神、オリックスで計12年間プレーした左腕・田村勤氏は2002年の現役引退後、怪我の施術の道へ進んだ。恩師の駒沢大・太田誠監督に勧められての転身だった。2005年には兵庫県…
4月降格で悟った“終わり” 戦力外から再起も…麻痺した感覚「指から離れない」|球界群像 田村勤#15
ついにその時が来た。阪神の元守護神・田村勤氏は2002年、オリックスで12年間の現役生活の幕を閉じた。ラストイヤーは4月に2試合を投げただけで2軍落ち。次に1軍マウンドに上…
1軍登板ゼロ→阪神戦力外 引退試合の提案も固辞…確信した“新天地”での復活|球界群像 田村勤#14
阪神の元守護神・田村勤氏はプロ9年目の1999年に40登板、1勝1敗1セーブ、防御率4.64の成績を残した。前年の1998年は左肩を痛めて1軍どころか、2軍でも登板できなか…
松井秀喜は阪神戦が「怖かったと思う」 仕事人が投球練習で打った“布石”「何回かやった」|球界群像 田村勤#13
元阪神守護神の田村勤氏は現役時代、左肘痛、左肩痛と怪我に何度も泣かされた。そのたびに不死鳥のごとくよみがえったが、同時に投球術などにもいろんな工夫を重ねた。相手に癖がバレて…
肘痛の次は肩痛…グチャグチャのフォーム「もうわからない」 大乱調で“笑いもの”の屈辱|球界群像 田村勤#12
怪我→復活→怪我→復活……。元阪神左腕の田村勤氏のプロ野球生活はこの流れの繰り返しだった。プロ2年目の1992年にクローザーとして活躍しながら左肘を痛めてシーズン後半を棒に…
阪神躍進の裏で…崩壊した肘「もうやばかった」 投げられないのに昇格、悪化し続けた痛み|球界群像 田村勤#11
どうすることもできなかった。元阪神の横手投げ左腕・田村勤氏はプロ2年目の1992年、開幕からクローザーを任された。ストレートの球速も140キロ台後半までにアップ。小気味いい…
壊れ始めていた肘「何かチクッと」 初回から作る肩…阪神左腕の後悔「無防備でした」|球界群像 田村勤#10
元阪神左腕の田村勤氏はプロ1年目の1991年シーズン後半から大石清投手コーチに言われて「抑え投手」の練習をスタートさせた。中村勝広監督率いる、この年の虎は開幕5連敗を喫する…
初登板で被弾→降板命令も異例の拒否 覚悟した2軍降格も…運命変えた“二つ返事”|球界群像 田村勤#9
いきなり投手コーチに反抗した。田村勤氏は1990年ドラフト会議で阪神から4位指名され、本田技研からプロ入りを果たした。だが、1年目の高知・安芸キャンプでは、右足を故障して離…
巨人から声かからずも…熱心だった阪神「名前を挙げてくれ」 “強制練習”で好転した野球人生|球界群像 田村勤#8
元阪神、オリックス左腕の田村勤氏は社会人野球・本田技研での1年目(1988年)の秋にサイドスローに転向した。加えて田代克業監督から「他の投手と一緒ではなく1人で走れ!」指令…
公衆の面前で監督が激怒「チャラチャラしやがって」 田村勤氏の決断…先輩との“決別”|球界群像 田村勤#7
元阪神クローザーの左腕・田村勤氏は駒沢大時代までオーバースローだったが、社会人野球・本田技研に進んでからサイドスローになった。「嫌でしたよ。でも(本田技研の)田代(克業)監…
フォーム変えなきゃ「お前を使わん」 KO続きで最後通告…監督からの“強制命令”|球界群像 田村勤#6
運命を変えた社会人野球入りだった。元阪神、オリックス左腕の田村勤氏は静岡・島田高から駒沢大に進学したが、伸び悩み、結果を残せなかった。東都大学リーグでの通算成績は29登板で…
突如イップスを発症「藤浪の気持ちが分かる」 入らないストライク、止まらない罵倒|球界群像 田村勤#5
懺悔するしかなかった。元阪神、オリックス投手の田村勤氏は駒沢大では力を発揮できない日々が続いた。左の本格派投手として期待され、特待生で入学したが、試合でカーブがすっぽ抜けた…
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