快投中の“強制降板”にブチ切れ「何で」 後輩の“踏み台”に…屈辱だった同情の賞金|球界群像 鈴木孝政#19
交代指令に大憤慨した。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は現役時代にそんな経験がある。決定権は指揮官にあるとわかっていながらも、その時ばかりは納得できなかったという。プ…
快投中の“強制降板”にブチ切れ「何で」 後輩の“踏み台”に…屈辱だった同情の賞金|球界群像 鈴木孝政#19
交代指令に大憤慨した。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は現役時代にそんな経験がある。決定権は指揮官にあるとわかっていながらも、その時ばかりは納得できなかったという。プ…
勝利投手の賞金を超えた罰金 前代未聞の珍プレー…闘将が激怒した“とぼとぼ走り”|球界群像 鈴木孝政#18
1987年シーズンから中日監督にOBの星野仙一氏が就任した。ナインへの「覚悟しとけ!」のメッセージで始まった星野体制は、元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にも思い出深い…
“決めごと”ばかりの生活も「女房を楽に」 神懸かりな1年を支えた妻の献身|球界群像 鈴木孝政#17
名古屋で勝ちまくった。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は、1984年シーズンに16勝をマークしたが、そのうち12勝が本拠地・ナゴヤ球場でのものだった。「最初は勝てなくて…
マスコミが「誰ひとり、信用しない」 思わずポロリも…予想外だった投手の“告白”|球界群像 鈴木孝政#16
プロ野球で怪我や病気、長期間の不調から返り咲いて活躍した選手に授与されるのがカムバック賞だ。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は1984年に受賞した。28試合に登板して…
屋台で飲み、就寝直前に「明日行くぞ」 連投お構いなし…呆然とした“予期せぬ通告”|球界群像 鈴木孝政#15
1982年、中日はセ・リーグを制覇し、日本シリーズでは広岡達朗監督率いる西武と激突した。その年のシーズン途中から、元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は先発に転向したが、…
悲劇からの変身に中畑清が文句「抜いたなぁ!」 たった88球の完封呼んだ“粘着質”の助言|球界群像 鈴木孝政#14
プロ10年目で“進化”した。「これがピッチングと思ったね」。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は、本格的な先発転向後の1982年7月1日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初完…
“抑え失格”の烙印押された逆転満塁弾 正念場で下された仰天指令「勇気がいったよ」|球界群像 鈴木孝政#13
野球人生のターニングポイントだった。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にとって大きな試合になったのがプロ10年目、1982年5月23日の大洋戦(宮城)だ。屈辱の逆転サヨ…
痛み止め多用で壊れた体「もう無理」 右肘酷使で登板も…失った首脳陣の信頼|球界群像 鈴木孝政#12
令和の今では考えられないペースで投げまくっていた。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏はプロ5年目の1977年、先発、リリーフ兼任で18勝9敗9セーブの成績を残した。最優秀…
「お前が取ったらいかん」 タイトル獲得も…まさかのクレームに謝罪「その通りです」|球界群像 鈴木孝政#11
巨人、阪神のエースとして活躍した小林繁氏に、中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は頭を下げたことがある。プロ4年目の1976年は60試合に登板し、7勝8敗26セーブで防御率…
無人のマウンド「行く気力なかった」 温和な指揮官が激変…「泣きべそかいた」続投劇|球界群像 鈴木孝政#10
中日の快速球投手・鈴木孝政氏(現中日OB会長)の名前が一層とどろいたのが1975年の3年目シーズンだ。シーズン序盤に抑えに回って、67登板で9勝8敗21セーブ。チームは2位…
ファン殺到で「腫れあがっちゃった」 国民的イベントの裏で…日本一逃した“悲劇”|球界群像 鈴木孝政#9
1974年シーズン、与那嶺要監督率いる中日は20年ぶり2度目の優勝を成し遂げ、巨人のV10を阻止した。応援歌「燃えよドラゴンズ!」も大ヒットした。しかし、日本シリーズは金田…
全国中継でマウンドへなぜか猛ダッシュ 目立ちまくったプロ初勝利…闘将との深い“縁”|球界群像 鈴木孝政#8
150キロを超える快速球で知られた元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)のプロ初勝利は1974年8月7日の巨人戦(中日球場)だった。1-3の6回から2番手で登板して3イニン…
パンツ一丁の“憧れの人”に大胆行動 「初めて胸毛を見た」押し掛けた巨人ロッカー|球界群像 鈴木孝政#7
子どもの頃から大の長嶋ファン。憧れの人とプロで対戦した時はまさに夢心地だった。現役時代は抑えでも先発でも活躍した元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にとって、長嶋茂雄氏(…
目覚めるのが「怖かった」 実家で号泣「行きたくない」…ドラ1右腕が味わった挫折|球界群像 鈴木孝政#6
プロでの“地獄”を味わった。元中日投手で現OB会長の鈴木孝政氏は1973年、高卒ルーキーで開幕1軍切符をつかんだ。「高卒の投手で開幕1軍に入ったのは中日では俺から1人も出て…
進学予定から“心変わり”も…「なんだろう、この人」 予期せぬエースの英才教育|球界群像 鈴木孝政#5
1973年。プロ1年目の浜松キャンプではエース・星野仙一投手から練習パートナーに指名された。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏の現役生活は実質、そこから始まった。「ちょっ…
「飲みながらだもん」入団拒否を覆した“宴席交渉” まさかの来襲に「返事しちゃった」|球界群像 鈴木孝政#4
1972年11月21日、東京・日比谷日生会館で行われたプロ野球ドラフト会議で成東高の右腕・鈴木孝政投手は全体2番目で中日にドラフト1位指名された。当時は入札制ではなく、1球…
プロで大活躍も“死ぬまで後悔” ドラ1右腕の夢散る…忘れられぬ「止まったボール」|球界群像 鈴木孝政#3
甲子園に何としても行きたかった。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は千葉・成東高時代からプロ注目の投手だった。甲子園に出場していれば、その名はさらにとどろいたに違いない。…
怪物・江川卓に「頭に来た」 登板回避に“怒り”の快投「どこから来たと思ってる」|球界群像 鈴木孝政#2
中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は1972年ドラフト1位で千葉・成東高から中日入りした。素材の良さは既に知られていたが、さらにプロから注目を集めたのは高校3年春の関東大…
スピードガン以前に非公式の「155キロ」 自慢は超爆肩…高校で驚きの“異常行動”|球界群像 鈴木孝政#1
うなる快速球。スピンの効いたスピードボールで打者をキリキリ舞いさせた元中日投手の鈴木孝政氏は、1970年代に非公式ながら球速155キロを計測した快速球投手だった。千葉県山武…
思い出すのは「強かった中日」 落合博満氏の許可得て大刷新…実現した“大学ドラゴンズ”|球界群像 近藤真市#15
東海地区大学野球連盟の岐阜県リーグに所属する岐阜聖徳学園大学硬式野球部のユニホームは2022年秋から、かつての落合ドラゴンズモデルに変わった。監督を務める元中日投手で、日本…
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