無敵軍団のはずが「甘かったよな」 未来のプロがズラリも…早大最強打線にあった隙|球界群像 比嘉寿光#7
大学日本一には無縁だった。広島で編成部編成課長を務める比嘉寿光氏は早稲田大時代、3年(2002年)春から4年(2003年)秋まで東京六大学野球リーグ戦で4連覇を経験した。し…
無敵軍団のはずが「甘かったよな」 未来のプロがズラリも…早大最強打線にあった隙|球界群像 比嘉寿光#7
大学日本一には無縁だった。広島で編成部編成課長を務める比嘉寿光氏は早稲田大時代、3年(2002年)春から4年(2003年)秋まで東京六大学野球リーグ戦で4連覇を経験した。し…
天才・鳥谷が「野球部を辞める」で大混乱 名球会打者誕生の夜明け前「相当とがってた」|球界群像 比嘉寿光#6
早稲田大学野球部は東京六大学野球リーグ戦で2002年春秋、2003年春秋の4連覇を達成した。2003年秋は10戦全勝優勝も成し遂げた。いずれも部史上初の偉業だった。広島で編…
寮追い出される危機、同期とケンカも…早大黄金期を牽引、不仲4人衆が高めた“和”|球界群像 比嘉寿光#5
常に危機感を持っていた。沖縄尚学で1999年の選抜高校野球を制した比嘉寿光氏(現広島編成部編成課長)は2000年4月、早稲田大学に進学した。1年から4年まで一度もベンチ入り…
甲子園連覇逃した“慢心”「勘違いしだした」 試合前に勝利確信も…敵投手に出た愚痴|球界群像 比嘉寿光#4
鼻をへし折られた。1999年春の第71回選抜高等学校野球大会で沖縄県勢初の甲子園制覇を成し遂げた沖縄尚学だったが、大フィーバーの余波はしばらく続いた。一気に大スター扱いの“…
“眼中なし”の言葉に発奮「やったろうぜ」 史上初の栄冠へ…名門PLとの激闘の舞台裏|球界群像 比嘉寿光#3
1999年の第71回選抜高等学校野球大会で、沖縄尚学は春夏を通じて沖縄県勢初の甲子園制覇を果たした。当時、キャプテンだったのが広島東洋カープの比嘉寿光編成部編成課長だ。思い…
部員のミスも「俺が怒られる」 史上初の快挙の影で…主将が戦った理不尽な“呼び出し”|球界群像 比嘉寿光#2
広島で編成部編成課長を務める比嘉寿光氏は、1999年の選抜で沖縄尚学が県勢初の甲子園制覇を成し遂げた時のキャプテンで4番打者。しかし、高校時代はそこにたどりつくまでにも、い…
急造遊撃手の“初舞台”が甲子園 失策連発もバットでお返し…成し遂げた「春の革命」|球界群像 比嘉寿光#1
2023年夏の高校野球は地方大会が大詰めを迎えているが、広島で編成部編成課長を務める比嘉寿光氏は、かつて甲子園を沸かせた選手のひとりだ。1999年の第71回選抜高校野球大会…
盟友から「一緒に」 やきとり店から現場復帰…オリ快進撃に貢献も1年で去った背景|球界群像 長内孝#14
現役引退後、広島の打撃コーチを務めた長内孝氏は2005年シーズン限りで退団した。新井貴浩氏(現広島監督)らを育てるなど、指導力には定評があったが、体調問題もあって自ら申し入…
「不細工やったけど強かった」 新井貴浩の“開花前夜”…巨人コーチの教えで変身|球界群像 長内孝#13
1994年シーズンから三村敏之氏が広島監督に就任した。前年の1993年に横浜で現役生活を終えた長内孝氏は、この年から古巣の広島で指導者として再スタートを切った。最初の仕事は…
まだ5月に事実上の戦力外「2軍でも出なくていい」 固辞した“ついで”の引退試合|球界群像 長内孝#12
左のスラッガーとして広島などで活躍した長内孝氏は1993年限りで現役生活にピリオドを打った。大洋に移籍して2年目、チーム名が横浜ベイスターズに変わった年だった。プロ18年目…
恩師を裏切り「お前、言いやがったな」 大魔神覚醒へ…伝えた“致命的欠点”|球界群像 長内孝#11
広島・山本浩二監督と水谷実雄打撃コーチを裏切った。現役時代、左のパワーヒッターとして知られた長内孝氏は、1992年シーズンに広島から大洋に移籍した。銚子利夫内野手との交換ト…
V記念麻雀のはずが…衝撃の“トレード通告” ビールかけ直後に恩人が「家へ来い」|球界群像 長内孝#10
まさか、こんな日に……。1991年10月13日は元広島の強打者・長内孝氏にとって忘れられない日だ。大洋・銚子利夫内野手との1対1の交換トレードを通告された。カープがリーグ優…
グラウンドでは“やられたら、やり返せ” プロレス技も炸裂…激しすぎた昭和のプロ野球|球界群像 長内孝#9
1988年9月9日に広島市民球場で大乱闘劇があった。元広島の強打者で野球評論家であり「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナーでもある長内孝…
“大台目前”でレギュラー剥奪…指揮官が「もう使わん」 へそ曲げて後悔した絶頂期|球界群像 長内孝#8
元広島の強打者・長内孝氏が現役時代にキャリアハイの成績を残したのは、11年目の1986年シーズンだった。118試合に出場して19本塁打、58打点。打率は.254だったが、初…
ブレークから一転…調子に乗って“低迷” ライバル出現で定位置失う「大失敗シーズン」|球界群像 長内孝#7
調子に乗って失敗した。元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナー・長内孝氏は自身の現役時代を苦笑しながら振り返った。プロ8年…
緊張感MAXで「パッと頭に浮かんだ」金言 「力が抜けた」飛躍に繋がったサヨナラ弾|球界群像 長内孝#6
元広島の強打者、長内孝氏が飛躍したのはプロ8年目の1983年シーズンだった。117試合に出場し、打率.265、18本塁打、56打点。山本浩二氏、衣笠祥雄氏とともにクリーンア…
1日2000スイングも「簡単だろ」 2軍で鳴かず飛ばずも即2冠王…人生変えた鬼コーチ|球界群像 長内孝#5
恩師との出会いが流れを変えた。元広島の強打者・長内孝氏にとってプロ2年目(1977年)のオフは大きな転機だった。広島1軍コーチだった山本一義氏が2軍打撃コーチに就任したこと…
「えらいところに来た」 高卒1年目でクビ覚悟…自信を喪失した山本浩二の“一言”|球界群像 長内孝#4
プロ1年目に最悪の事態を覚悟した。元広島の強打者で、野球評論家、「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナーでもある長内孝氏は1975年ドラフ…
「守っていてもやばいと」 病とも戦った3年夏…甲子園への道阻んだ原辰徳の存在|球界群像 長内孝#3
甲子園は1学年下のスター選手が主力の学校に阻まれた。元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナー・長内孝氏は桐蔭学園時代、1年…
名門校からの誘いも“全て”拒否 野球を辞めるつもりが一転…知らなかった「特待生制度」|球界群像 長内孝#2
元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナーである長内孝氏は、神奈川・相模丘中学時代、エースで4番だった。地元では知られた存在…
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