中日3位指名も…両親“怒り”「息子は売り物じゃない」 反対だったプロの世界|球界群像 宇野勝#5
銚子商で強肩強打の内野手として活躍した宇野勝氏(野球評論家)は、1976年ドラフト会議で中日から3位指名された。当初は社会人入りや大学進学も視野に入れていたが、熟考の末にプ…
中日3位指名も…両親“怒り”「息子は売り物じゃない」 反対だったプロの世界|球界群像 宇野勝#5
銚子商で強肩強打の内野手として活躍した宇野勝氏(野球評論家)は、1976年ドラフト会議で中日から3位指名された。当初は社会人入りや大学進学も視野に入れていたが、熟考の末にプ…
18歳が抱えた重圧…敗退なら「降りられない」 素直に喜べなかった悲願の甲子園|球界群像 宇野勝#4
中日、ロッテで通算338本塁打を放った宇野勝氏(野球評論家)は1976年、銚子商3年の夏に目標の甲子園出場を果たした。準々決勝まで勝ち上がり、打者としては3試合で1安打だっ…
巨人ドラ1の先輩から「お前がやれ」 まさかのコンバート…“レジェンド遊撃手”誕生の背景|球界群像 宇野勝#3
1984年に本塁打王に輝くなど、強打の遊撃手と知られた宇野勝氏(野球評論家、元中日、ロッテ)は1974年の千葉・銚子商1年秋に右肘を故障したため投手から内野手に転向した。当…
試合中に起きた異変「どうにもならなくなった」 元中日HR王が見舞われた“悲劇”|球界群像 宇野勝#2
1984年にセ・リーグ本塁打王に輝くなど、中日、ロッテで通算338本塁打を放った宇野勝氏(野球評論家)は1974年に銚子商に進学。投手として野球部に入部した。最初は球拾いと…
日本記録保持者が“無名”だった中学時代 私立よりも公立志望、苦労した野球以外の課題|球界群像 宇野勝#1
NPB遊撃手でシーズン最多本塁打をマークしているのが元中日、ロッテの宇野勝氏(野球評論家)だ。中日時代の1985年に記録した41本塁打はいまだに破られていない。ニックネーム…
“給与問題”発覚…1年足らずで「クビになった」 フロントと合わぬ理念、元虎右腕の誤算|球界群像 中田良弘#17
元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)は、2008年9月に関西独立リーグ「神戸9クルーズ」監督に就任した。同年11月の同リーグのドラフト会議では、16歳の“ナックルボーラー”…
阪神から戦力外→2球団から打診も…愛妻の一言で“翻意”「終わった方がいい」|球界群像 中田良弘#16
阪神一筋で終えることを選択した。1985年V戦士右腕の中田良弘氏(野球評論家)は1994年シーズン限りで現役を引退した。戦力外通告を受け、プロ生活は14年で幕を閉じた。当初…
虎ファンが屈辱の言葉「心にグサッと」 わずか1登板の不振…傷ついた“ニセモノ扱い”|球界群像 中田良弘#15
グサリと響いた……。1992年の阪神はヤクルト、巨人と優勝を争った。最終的にはヤクルトにかわされ、巨人と同率2位に終わったが、若手の亀山努外野手&新庄剛志外野手の“亀新フィ…
4年連続0勝で戦力外覚悟「クビになる」 崖っぷちの阪神右腕…1日で覚えた“新球”|球界群像 中田良弘#14
再び“低迷期”がやってきた。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)はプロ6年目の1986年から9年目の1989年までの4シーズン、1軍で1勝も挙げられなかった。阪神が優勝した…
酒臭い阪神ベンチ、寝不足でKOのドラ1 敗戦の祈り届かず…優勝翌日の“悲劇”|球界群像 中田良弘#13
1985年10月16日、阪神は21年ぶりにセ・リーグ優勝を成し遂げた。敵地・神宮球場でのヤクルト戦。延長10回5-5の引き分けで決まった。V戦士の1人である元阪神右腕の中田…
中日右腕に味わわせた“屈辱” 膝・肩・血行障害…満身創痍の阪神ドラ1が築いた不敗神話|球界群像 中田良弘#12
約4年、黒星がつかなかった。元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)はプロ1年目の1981年7月21日から5年目の1985年8月11日まで18連勝をマークした。その間に右膝痛、…
ドラ1の壊れていく右肩「痛いと言ったら終わり」 1人で隠れて治療…増え続けた“爆弾”|球界群像 中田良弘#11
怪我と付き合う日々だった。元阪神ドラフト1位右腕の中田良弘氏(野球評論家)のプロ生活は、1年目(1981年)に右肩を痛めて暗転した。2年目の1982年はわずか1登板で、3年…
阪神ドラ1に悲劇…いきなり酷使で「終わった」右肩 与えられなかった“猶予期間”|球界群像 中田良弘#10
「今思えば、あの時……」。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)はルーキーイヤーの1981年に38登板、6勝5敗8セーブ、防御率3.39の成績を残した。シーズン当初は先発がメ…
真夜中に聞こえた虎主砲の“唸り声” ドラ1衝撃のキャンプ…萎縮した同部屋の大エース|球界群像 中田良弘#9
違いに驚愕した。1980年ドラフト1位で阪神に入団した中田良弘氏(野球評論家)。1年目の春季キャンプは米アリゾナ州テンピで行われた。「自分にとって初めての海外でした」。即戦…
ドラ1指名も「報道陣が誰もいなかった」 知らなかった阪神人気…一変した“注目度”|球界群像 中田良弘#8
社会人野球・日産自動車の右腕・中田良弘投手(現野球評論家)は1980年ドラフト会議で阪神から1位指名を受けた。東海大・原辰徳内野手、プリンスホテル・石毛宏典内野手、横浜高・…
パ・リーグには「行きたくない」 ドラ1候補の“決意”…予期しなかった指名球団|球界群像 中田良弘#7
1980年ドラフト会議で阪神に1位指名された中田良弘氏(野球評論家)は1978年、亜細亜大を1年夏で中退した。アルバイトを経て入社した社会人野球・日産自動車で頭角を現し、プ…
亜大中退→プール監視員のバイト経てドラ1に 右膝は限界突破…人生を変えた1本の電話|球界群像 中田良弘#6
ゼロからの再出発だった。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)は1978年、亜細亜大1年夏に野球部を退部し、大学も中退して横浜市内の実家に戻った。しばらくブラブラした後、室内…
嫌だった亜大入り「きつかった」 数か月で野球部中退、阪神OBが味わった“地獄”|球界群像 中田良弘#5
自分には向いていなかった……。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)は1978年、横浜高から亜細亜大学に進学した。社会人野球入りを希望していたが、亜大のセレクションに行くこと…
1年春から登板も“破壊”された右膝 「何回も辞めようと…」治らぬ怪我に溢れた涙|球界群像 中田良弘#4
阪神で先発でもリリーフでも活躍した右腕・中田良弘氏(野球評論家)は、横浜高時代に万全な状態で戦えなかった。1975年の高校1年夏の練習試合で右膝を故障。完治しないまま復帰し…
鉄拳当たり前、毎年出る“脱走者”「いい選手がやめる」 名門の理不尽な寮生活|球界群像 中田良弘#3
1985年の阪神V戦士右腕の中田良弘氏(野球評論家)は名門・横浜高出身だ。甲子園には出場できなかったものの「あの3年間は鍛えられました。あの時代があったからこそ、その後もや…
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