“勧誘”されたのに…まさかの不合格で「野球やめようかな」 元新人王、初めての挫折|球界群像 熊野輝光#2
元阪急外野手で1985年パ・リーグ新人王の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は1973年、香川・三木町立三木中学から、香川県立志度商(現・志度高)に進学した…
“勧誘”されたのに…まさかの不合格で「野球やめようかな」 元新人王、初めての挫折|球界群像 熊野輝光#2
元阪急外野手で1985年パ・リーグ新人王の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は1973年、香川・三木町立三木中学から、香川県立志度商(現・志度高)に進学した…
五輪金メダル、新人王獲得も…後悔募る自らのキャリア 誤った決断、好打者の“末路”|球界群像 熊野輝光#1
高校時代に甲子園出場を果たし、大学では全日本大学選手権優勝、日米大学選手権出場などを経験。社会人時代には五輪で金メダルを獲得し、プロ野球では新人王、スカウトとしても辣腕を発…
“紆余曲折”元阪神エースの今 バー経営→指導者へ、外から眺める甲子園|球界群像 川尻哲郎#22
元阪神エースの川尻哲郎氏は現在、東京・新橋のスポーツバー「TIGER STADIUM」店主としても“活躍中”だ。2005年に楽天でプロ選手生活にピリオドを打った後は、楽天ジ…
覚悟していた戦力外…ラスト登板で「ボコボコにやられた」 すんなり受け入れた現役引退|球界群像 川尻哲郎#21
阪神など3球団でプレーし、通算60勝を挙げた川尻哲郎氏は2005年に楽天で現役を引退した。プロ生活は11年目で幕を閉じた。ラストシーズンは沖縄・久米島キャンプでの右足肉離れ…
阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案|球界群像 川尻哲郎#20
2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リー…
“許せなかった”阪神からの戦力外 ビールかけも固辞…直後に決まったパ・リーグ移籍|球界群像 川尻哲郎#19
1990年代の阪神の低迷期を支えたサイドスロー右腕・川尻哲郎氏はプロ9年目、奇しくも阪神がリーグ優勝した2003年オフに近鉄に移籍した。左腕・前川勝彦投手との1対1の交換ト…
阪神からの扱いに不満「俺もういらないですよね」 1勝6敗も…メジャー移籍直訴で騒動|球界群像 川尻哲郎#18
復活したが、また……。阪神などで活躍した右腕・川尻哲郎氏は1年置きに成績が変わる傾向にあった。プロ4年目の1998年にノーヒットノーランを達成するなど10勝をマークしたが、…
“嫌われていた”監督に猛反論「新庄は茶髪」 コーチ大焦りの事件「2軍に落とす」|球界群像 川尻哲郎#17
1999年、阪神監督には前年の1998年までヤクルト監督を務めた野村克也氏が就任した。元阪神投手の川尻哲郎氏は開幕2戦目の巨人戦(4月3日、東京ドーム)に先発。7回3失点で…
メジャー直訴も「出せない」 “一蹴”された阪神エース…米打線圧倒も消えた夢の移籍|球界群像 川尻哲郎#16
メジャー挑戦の夢も抱いた。阪神などで活躍した右腕・川尻哲郎氏はプロ4年目の1998年にノーヒットノーラン(5月26日の中日戦、倉敷)を達成するなど10勝5敗の成績を残した。…
遠征先に1人残って「連夜の大暴れ」 朝7時まで痛飲も…阪神右腕がまさかのノーノー|球界群像 川尻哲郎#15
背番号が19に変わったシーズン、プロ4年目での偉業だった。元阪神の川尻哲郎氏は1998年5月26日の中日戦(倉敷)で、史上66人目のノーヒットノーランを達成した。「1勝は1…
陥った負の流れ「どんどん打たれていく」 膨れ上がる借金も…オフに告げられた“昇格”|球界群像 川尻哲郎#14
元阪神サイドスロー右腕の川尻哲郎氏にとって、プロ3年目の1997年は苦しいシーズンだった。1年目に8勝、2年目に13勝と白星を積み重ねたのが一転して、5勝14敗と散々な数字…
突如の中継ぎ転向「嫌だった」 チーム事情に左右された選手人生、拒否できなかった通告|球界群像 川尻哲郎#13
またジャンプアップした。阪神低迷期のエース格だった川尻哲郎氏は、プロ2年目の1996年にキャリアハイの13勝をマークした。プロ1年目に先発ローテーション入りを果たしたが、2…
今でも“謝罪”「あの時は悪かった」 消された先発初勝利…阪神右腕、想定外のローテ入り|球界群像 川尻哲郎#12
1995年の阪神は優勝したヤクルトから36ゲーム差の最下位。チーム打率もリーグ最下位で援護も少なく、川尻氏は好投しても敗戦投手になるケースが多かった。そんな中で、18登板目…
「ケツが痛くなって…」阪神ルーキーが断った1軍昇格 動かない体、直前に起きた“悪夢”|球界群像 川尻哲郎#11
阪神などで活躍したサイドスロー右腕の川尻哲郎氏はプロ1年目の1995年4月28日のヤクルト戦(甲子園)で初登板、初勝利を飾った。オープン戦で2軍落ちしたが、そこから、きっち…
阪神入団で「すごい投手はいなかった」も…予期せぬ2軍落ち、岡田彰布から崩れたリズム|球界群像 川尻哲郎#10
東京・新橋でスポーツバー「TIGER STADIUM」を経営する元阪神、近鉄、楽天投手の川尻哲郎氏はプロ1年目の1995年1月17日、阪神・淡路大震災に直面した。野球どころ…
突然の不調で消えた“逆指名” 関東希望も胸打たれた熱意…下位でも「阪神しか行きません」|球界群像 川尻哲郎#9
日産自動車のサイドスロー右腕・川尻哲郎投手は、1994年ドラフト会議で阪神から4位指名されて入団した。大卒社会人4年目、25歳でのプロ入りだった。社会人3年目の1993年に…
ぎっくり腰で「タバコをやめます」 “覚醒”始まるも…禁断の一言がもたらした魔法|球界群像 川尻哲郎#8
阪神で活躍した川尻哲郎氏は1993年、社会人野球・日産自動車での3年目のシーズンから急成長した。大きなきっかけはオーバースローからサイドスローに投球フォームを変えたことで、…
「邪道」な先入観も…悪夢の13失点で決意 プロ入り呼んだ“転向”「パチンと振れだした」|球界群像 川尻哲郎#7
阪神などでサイドスロー右腕として活躍した川尻哲郎氏は社会人野球・日産自動車3年目の1993年途中までオーバースローだった。それを日産自動車・村上忠則監督らから提案されて投球…
元阪神右腕の岐路…監督から「引退するか」 直訴した1年間の“猶予”「駄目だったら辞めます」|球界群像 川尻哲郎#6
まさに崖っぷちだった。元阪神、近鉄、楽天右腕の川尻哲郎氏は1991年、亜大から社会人野球・日産自動車に進んだが、なかなか目立った活躍ができなかった。入社2年間は都市対抗のベ…
ドラフト候補にも挙がらぬ大学時代 川尻哲郎氏の心を変えた同期の指名「びっくりした」|球界群像 川尻哲郎#5
阪神でエースとして活躍するなど、通算60勝を挙げたサイドスロー右腕の川尻哲郎氏は、亜大では通算4勝のオーバースロー右腕だった。その4勝も1年時にマークしたもので、2年生以降…
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