ミスター社会人・西郷泰之の飽くなき挑戦

「日本の野球と世界の野球の違いを見てきた男」

「彼は、もともとプロに行ける素材でした。バルセロナオリンピックからドラフト凍結制度が開始され、次のアトランタの代表となった西郷選手は、プロ志望を断り、凍結選手としてオリンピックを選んだ。行かなかったというのが適切と思います」。背景には五輪が大きく関係していた。

「アマチュア選手にとっての希望はプロ選手でなく、オリンピックでした。世界に憧れ、世界と戦ってみたいという気持ちは至極自然な流れです。アトランタオリンピックからずっと日本代表としてあらゆる大会に出て、日本の野球と世界の野球の違いを見てきた男です」

 当時はWBCもなく、五輪はアマチュア選手のものだった。国際舞台で国を背負って戦うことを選んだ。

 もちろん西郷自身にプロへ行きたい思いもはあった。しかし、アトランタ五輪後、24歳の西郷を指名をするチームは出てこなかった。外野でもプレーしていたが、一塁以外の起用が難しいというスカウトの声もあった。今でこそ、20代後半で選手を獲得することはあるが、「当時はなかなか24歳は難しい部分もある」と小島氏は振り返る。

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