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「画面から消える投手」誕生秘話 西武中崎の覚悟「生き残るために…」

「一番大きかった」清川コーチの存在、「僕は2番になってしまった(笑)」

 その裏には、ターゲットとするポジションを明確にしていたことと、清川コーチの存在が非常に大きい。

 己の特性とチーム状況を冷静に照らし合わせ、「先発は揃っているから不要。中継ぎでも、後ろは無理。となると、ウチは右の先発が多いから、左のワンポイントとして割って入れれば」と、最近のプロ野球ではめっきりと減った“ワンポイント起用”を自らの生きる道と定めた。2軍戦では、そのために求められるテーマに徹底的にこだわった。

「とにかく、打ち損じでもどんな形でもいいから、左(打者)だけは100%抑えられるようになろう。それだけを僕の売りにしよう」

 そして、ようやく手応えを感じたのが5月7日のイースタンリーグ・DeNA戦だった。6回から2人目でマウンドに上がり、先頭の筒香嘉智外野手を三飛。「日本代表のホームラン打者に対して真っ向から勝負でき、抑えられたことで自信になりました」。同12日に待望の1軍昇格の知らせを受けたのだった。

 さらに、8年目左腕が変革に踏み切るのに「一番大きかった」と感謝するのが、清川コーチだ。元々、『左のサイドスロー、クロスステップ』といえば、現役時代の同コーチの専売特許ともいえた。その熟練者から、体の使い方、構え、ステップ、シャドウなどを連日、時間の許す限り、つきっきりで伝授してもらえたのである。弟子となった中崎のサイドスロー転向について、師匠は次のように語る。

「投手の要素として、スピード、コントロール、タイミング、メンタルがある中で、スピードに目が行きがちです。でも、『タイミングをずらして、打つ形を崩すという道で生きていくのも投手やぞ』という話までは、中崎にしました。そこから、(転向を)決めてきたのは本人。決して強制したわけではありません。

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