引退の三浦大輔が激白 プロ生活の支えとなったこと、横浜に残したいモノ
三浦大輔という男、「大きな出来事」で変わった人生
――1軍への憧れが番長を支えてきた。
「綺麗に言えばそうですよ。でも1軍に上がれば年俸も上がるし、2軍じゃ給料上がらないっていうのもあったし、野望!?、欲!? 矢沢永吉さんが大好きで『成りあがり』っていう本を読んで“俺もプロ野球界で成り上がりたい”って思ってやってきましたから。それまでは、田舎でなんもないところでちゃらちゃらしていたから」
―――番長にとって横浜とはどんな場所ですか?
「大好きな場所。だってこっちの生活の方が長いもん。もちろん奈良は奈良で地元で故郷ってのはありますけど、18年奈良にいて、25年横浜にいてるから。もうやっぱり住みやすいですもん。街が。緑もあるし。都会と緑と海。本当に田舎の子みたいになってるな(笑)。応援に来てくれるファンの方も温かいしね」
―――番長のことを悪くいう人を聞いたことがない。ほかのチームの選手からも、ファンからも愛される人柄。
「それっていいのかなどうなのかな。ほかのチームのファンからは逆に憎たらしいくらい頑張れればよかったのかなって(笑)」
――人と接する時に心がけていることは?
「特にないかな。好かれたいか嫌われたいかといったら、もちろん別に嫌われたいとは思ってないけれど、普通に接して、普通にしているだけやけども、わからんわ」
――人格者と言われることは?
「そんな人格者じゃないもん(笑)。困るわ。あいつちょっとおかしいぞって言われるくらいの方がいいもん。ただ、高校1年の時の出来事があったから、やってこられたっていうのはすごく感じるかな。あの時、人を裏切り続けていましたからね。16歳になる前。高校1年の秋。(※注 高田商業1年生の時、突如野球部のグラウンドから姿を消し、野球部の練習はおろか学校にも顔を出さなくなった時期があった。そして“野球部を辞めます”と部員の前で言い、監督に真剣に怒られて、仲間にも何度も説得された)
あれは、俺の人生の中では大きな出来事だったかな。ダメだなって。気づかされたというか勉強したというか。だってあの頃、嘘ばっかついてたもん。嘘ついて、人を裏切って、自分のやりたいこと、欲望のままに動いていたような時期でしたから。俺この世界1人で生きていけると思っていた。大きな勘違いをしていた時期でしたね。ちゃらんぽらんなこと、中途半端なこともしていたから。でもそれで周りの人にすっごい迷惑をかけました。だから、もうそういうことはしちゃいけないなって。深く深く深く反省して。周りの人のお蔭で気づかされました。
その後もしばらく辛かったですから。周りを裏切っていたから何を言っても信用されず、信用ゼロでしたからね。オオカミ少年じゃないけど。でも自分が蒔いた種だからと思っています。あの経験は大きいかな。その時と同じような適当なことをしたら、自分も嫌な思いをするし、周りも傷つけてしまうかもと思うからかもな」