田中将大発案の野球教室、込めた思いと心を打たれた児童の言葉
田中自身も震災経験「後世に伝えていかないといけない」
これには田中も「彼のスピーチに心を打たれた。あれくらいのことをあの年で言えるのはすごい」と感心。田中自身が阪神淡路大震災を経験した時、6歳だったことから、「ちょうど彼らと同じ年齢の頃。(震災の)印象はすごく残っていると思う」と気遣った。そして、「そういう経験したことを後世に伝えていかないといけないですよね。伝えていけるのが日本の良さだと思う。自然災害はこれからも大きさはどうであれ、起きるのは僕らにとってはどうしようもないこと。起きた時にどう対処するか。みんなで一致団結できるのが日本人の良さだと思う。下の年代に伝えていくことが大事だと思います」と、震災の記憶と経験を後世に残していく大切さも説いた。
子どもたちに「これからみんなが大人になって、震災のことを知らない人たちが出てくるから、みんなが経験したことを下の人たちに伝えてほしいと思います。(キャッチボール競争の)優勝チームの子たちが将来の夢を言いましたが、これから先の日本を支えていくみんなは希望だと思うので、みなさん、勉強も運動もして、夢に向かって頑張ってください」と話し、励ました田中。昼には、3年生と「小学校以来」という給食を食べ、「美味しかったですよ。気を遣ってくれたようで、量を多くよそって出してくれて、お腹がパンパンです」と笑った。高卒で楽天に入団し、7年間を過ごした宮城を「自分が育ててもらった地」と表現し、「時間が許す限り、継続していくことが大事。何か自分のできることがあれば、可能な限りやりたいと思います」と、今後の継続も約束した。
Koboパークに戻るとブルペンに入った田中。捕手役の釜田を座らせ、変化球も交えて30球を投じた。その1球、1球には、“復興地”の子どもたちの想いも乗っているかのように勢いがあった。
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高橋昌江●文 text by Masae Takahashi