「掛布さんと池山さん…」現役生活21年に幕、岩村明憲が追い続けた背中
日米で活躍できたカギは「負けず嫌いだったこと」
独立リーグのBCリーグ福島ホープスで兼任監督を務める岩村明憲選手が、10日に21年にわたる現役生活にピリオドを打った。シーズン後期最終戦。プレーオフ進出が懸かった一戦に「1番・DH」で先発すると、4打数2安打のマルチ安打。試合後は「本当はフルスイングで三振して終わる予定だった」と笑ったが、ヤクルト時代は3年連続で3割30本塁打とした巧打ぶりは健在だった。
日米で活躍できた秘訣について「負けず嫌いだったこと」と自認する性格が最後まで出た。第1打席に二ゴロに倒れると、第2打席は1死満塁の好機で二ゴロ併殺。「悔しくてベンチの裏で素振りをした」と気合を入れて臨んだ第3打席に三遊間を破るレフト前ヒットを放つと、第4打席は「野球の基本に忠実にできた」とセンター前に弾き返した。チームは勝利こそ飾れなかったが、3-3の同点でプレーオフ進出を決め、選手・岩村の花道を飾った。
野球と常に真剣勝負で向き合った21年。ヤクルト、メジャー、楽天、ヤクルト、独立リーグと渡り歩いた現役生活で、常に追い続けた背中があった。それが元阪神のスラッガー、掛布雅之氏(現阪神2軍監督)と、ヤクルト時代の大先輩、池山隆寛氏(現楽天チーフコーチ)だ。
「自分は掛布さんにすごく憧れて左打者になったくらいです」と言うほど、名門・阪神で一時代を築いたスラッガーに魅了された。掛布氏が現役引退したのは33歳の時。「掛布さんが短命であれば、自分も」と太く短い野球人生を送る覚悟で、プロの門をくぐった。だが、そんな岩村の意識を変えたのが、プロ入りした時にヤクルトで三塁を守っていた池山だった。