「調子に乗っていた」―プロから社会人へ異色の経歴持つ苦労人・細山田の今

厳しいプロ生活の中で変化した姿勢、トヨタ自動車を選んだ2つの理由

「『頑張ろう。いけるかな』と思った時に、あの吉野家、松屋事件ですよ。あの時は腐りましたね。『どうせ出ないんでしょ。じゃあ今日は酒飲んでもういいわ』って。でも、プロって1回契約したら途中でクビは無いじゃないですか。だから1年間、365日を自分の次の人生のために有効活用しようと思いました。野球以外でもいろんな人と会って、高校野球に指導に行っている友達の話を聞いたり、自己啓発セミナーに行ったり。メンタルトレーニングもしましたね。それからは『試合に出なくても自分ができることを一生懸命やろう。腐らずに自分のできることを常に一生懸命やろう。どこかで誰かが見てくれている』と思えるようになりました」

 結局、この2013年シーズンは怪我の影響もあり2軍戦で6試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けた。しかし、自分自身と向き合い、様々な人と触れ合った1年間を経験し、前向きな気持ちを持てるようになったという。体力的にも、精神的にもまだできると感じていた細山田はトライアウトを受け、ソフトバンクに育成選手として入団。地元九州の球団ということもあり、心機一転、新天地での活躍を誓った。

「拾っていただいているし、そこで貢献できることはないか、僕にできることを探そうと思いました。若い選手とご飯を食べに行ったりして、いろいろな話もしました。若い選手と野球やれる機会ってないじゃないですか。みんな『まず支配下になろう』ってがつがつ貪欲にやってて。すごく勉強になりました。その頃には、僕も頭の中が大人になったんで(笑)」

 3軍での出場が続いていたが、ソフトバンク2年目の2015年4月に支配下選手として登録。しかし、1軍での出場は12試合に留まり、オフに2度目の戦力外通告を受ける。ソフトバンクでは職員として球団に残る道も提示されたが、同じ頃、早大時代の先輩、トヨタ自動車の佐竹功年投手から「トヨタを優勝させるために来てくれ」と声をかけられ、入社を決意。2015年11月にトヨタ自動車硬式野球部への加入が発表された。

「トヨタを選んだ理由は大きく2つあって、1つは野球をまだ続けたい、社会人野球を経験してないし、社会人で日本一になりたいという気持ちがありました。トヨタは日本一になれるチームでしたから。もう1つは、家族を安心させたいという気持ちですね」

 入社1年目の2016年の都市対抗野球大会では全試合に出場し、チームの都市対抗野球大会初優勝に貢献。1年目での栄冠に「ラッキーでした」と話すが、31歳のベテランは「トヨタも次のキャッチャーが育てば僕はもういらないと思う。誰が抜けても強いチームを作らなきゃいけない」とチーム力の向上に余念がない。そこには将来指導者になりたいという思いもある。

後輩の斎藤を気遣う姿勢「先輩として力になりたいという思いはある」

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