「調子に乗っていた」―プロから社会人へ異色の経歴持つ苦労人・細山田の今

後輩の斎藤を気遣う姿勢「先輩として力になりたいという思いはある」

「僕、指導者になることが夢なんです。トヨタでも、大学でも、どこでも経験できるんだったらしたいです。アマチュア野球に携わった以上は貢献したいですね」

 将来のビジョンを明確に描いているが、まだ現役としてやらなければいけないことがある。代表チームでのプレーもその一つだ。10月に行われる「第28回 BFA アジア選手権」の侍ジャパン社会人代表に選出されており、「日本代表でも金メダルを取りたい」と話す。

 そんな細山田は早大3年の時に日米大学野球選手権大会、4年では世界大学野球選手権大会で日の丸を背負った経験がある。「『大学時代は斎藤が選ばれたから俺も選ばれるでしょ』って感じでした」と笑うが、当時の記憶は鮮明に覚えている。当時、早大の後輩で日本代表でもバッテリーを組んだ斎藤のことは、今でも気にかけているという。

「『終わったらどうするの』という話もしますが、今は現役で頑張ればいいと思います。あいつは見放されているわけじゃないし、目にかけてもらっているんだから、それに感謝して頑張ればいいと思う。時期が来て、助けてあげられることがあれば、先輩として力になりたいという思いはあります」

「調子に乗っていた」というプロ入り後、そして2度の戦力外通告。野球人生の栄光と挫折を味わった細山田が今、大事だと思うのは「人間性」だ。

「『割としっかりやっていてよかったな』って思います。常に一生懸命やっていれば、どこかで誰かが見ている。それは、こういうことだと思います。腐っていたり、適当に野球をやっていたら、今の僕はいないと思います」

 インタビュー終了後、筆者を見送りながら「こういう取材、田舎のばあちゃんが喜ぶんですよ。俺、もうばあちゃんしかいないから」と笑顔を見せた。細山田はすでに両親を亡くしており、父親が亡くなったのは、世界大学野球選手権の時だった。

「あの時も、天国から見られたからラッキーだったなって思います。(会場の)チェコまでなかなか応援に来られないじゃいですか」

 異色の経歴を持つ苦労人は、真っ直ぐで、どこまでも明るかった。社会人野球の舞台で、そして、将来は指導者として、その笑顔を見られる日が楽しみだ。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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