運命に導かれた「幕張の安打製造機」が挑む、元祖「安打製造機」の記録更新
ロッテの指名は「運命だったとしか言いようがない」
プロ初本塁打は翌1995年7月30日のイースタン・リーグ、ヤクルト戦(ロッテ浦和)。ヤクルト先発・荒木大輔投手の変化球を打った。本人いわく「スライダーか、カーブ。ギリギリの当たり。当時は浦和球場には外野にフェンスがなくてね。ライトをちょっと越えたところにポトリと入った。フェンスがあったら、どうだったか分からない感じの当たり」。
この年はレン・サカタ2軍監督の方針で若手が積極的に起用された。76試合に出場して打率.263、5本塁打、23打点。2軍ながら、野手としての成績は形になってきた。そんな福浦の記念すべき1軍初出場はその2年後の1997年7月5日のオリックス戦(当時千葉マリン)。それより先の活躍の日々は、誰もが知るところである。「70」だった背番号は「9」へと移り変わり、千葉の生きるレジェンドとしてファンに敬愛される存在となっている。
「千葉ロッテマリーンズに指名をしてもらえたのが運命だったとしか言いようがない。1992年に千葉に移転してきて1993年のドラフト。たぶん千葉の選手だから最後に取っておこうかということになったのではないかなと思う。そういう意味では、もし千葉に移転していなかったら指名されていなかったんじゃないかな。そして違う道に進んでいたら、2、3年で野球を辞めていたと思う。運命に導かれた。だから自分に課せられた使命をしっかりと果たしたいと思う」
42歳で迎えた25年目のキャンプ。18歳の安田尚憲内野手が存在感を示している。それでも生きるレジェンドも負けてはいない。バットコントロールに磨きをかけて偉業に挑む。2000本安打と2161試合出場の球団記録超え。それは運命に導かれてマリーンズ入りした福浦に課せられた使命である。
(マリーンズ球団広報 梶原紀章)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)