山田久志氏が考える「プロとは何か」 ファンに愛された星野、衣笠の思い出語る
中日・星野監督に口説かれ1999年に投手コーチに就任
今年1月に中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一氏が逝去。4月には広島一筋に活躍し、連続試合出場のプロ野球記録を持つ衣笠祥雄氏がこの世を去った。両氏と親交が深かったという山田久志氏が2人との思い出を語った。
星野氏とは年齢は1歳違うが、ともに1968年のドラフト1位指名を受けプロ入りし、ポジションは同じ投手。さらに、中日で星野氏が監督、山田氏が投手コーチを務めていたことから、プライベートでも近い存在だったという。闘将として知られた星野氏だが「気遣いの人だった」と、山田氏は話す。
「選手に鉄拳も振るったけど、気遣いの人。選手の家族を大事にしていて、そういうところに神経を使っていた。監督でありながら政治家みたいなところがあって、人脈もすごかった。中日の監督は11年やったけど、阪神の監督はわずか2年しかやっていない。それでも、ファンの人は中日の監督よりも、阪神の監督のイメージのほうが強いでしょ。関西に合うんだよね、仙さんの気遣いは。名古屋であれほど実績を作ったけど、あっという間に阪神の星野になった。人を引き付ける魅力があったんだね」
そんな星野氏との一番の思い出は、当時中日の監督を務めていた星野氏に口説かれ、1999年に投手コーチに就任した時だという。
「全然行く気はなかったんだけど、仙さんが涙を流しながら『助けてくれ』って言ってくれた。行ける条件じゃなかったし、私も頑固なんだけど、それをひっくり返すくらいのバイタリティがあった。あれから付き合いが長くなったね」
星野氏が阪神、山田氏が中日の監督を務めていたときには、試合中にグラウンドでケンカをしたこともあると、懐かしそうに振り返った。
「最初、谷繁と矢野がやり出したんだよ。こっちがぼろ負けの試合だった。もう勝負は決まっているのに、矢野がバントをしようとして、谷繁が『こんな試合でバントですか』って言ったら、矢野が『監督のサインなんだから』って答えて。そうしたら星野さんが『谷繁コラー。貴様バカヤロー』って始まってね。私も『監督の出る幕じゃないだろう。こんな野球あるか。アホー』って。でも次の日には二人で笑ってね。半分はショーだっていうのを、お互い分かっているから。仙さんはファンが喜ぶから、計算して審判とケンカして退場になったりしていたよ。ファンに喜んでもらうことを考えている人だった」
一方、衣笠氏とは、現役時代には1975年、1984年の日本シリーズで対戦したことがあり、ともに名球会のメンバーでもあったため、親しい仲だったという。山田氏は日本シリーズでの対戦を「豪快なフルスイングだった。日本シリーズだから、真っ向勝負というわけにはいかなかったけど、気持ちのいい勝負、細工なしの勝負だった」と懐かしんだ。