大好きな街・横浜で選手生活に幕――周囲を温かく和ませるDeNA後藤の思い
「もっと性格が荒々しかったら、と思ったことはあります」
後藤はいわゆる「松坂世代」。松坂大輔(中日)、小池正晃(横浜ファームコーチ)らとともに98年、甲子園で春夏連覇を達成。法政大を経て、03年ドラフト自由枠で西武入団、12年に高校時代を過ごした横浜へ移籍した。
大学2年春には3冠王を獲得。期待されて入ったプロの世界では、1年目の03年に11本、08年に12本と、2度2桁本塁打を放った。しかし、主に代打での出場となり、今季は引退発表まで1軍出場機会はなかった。
実績的に飛び抜けたものはない。しかし、その存在感は周囲を常に和ませ、多くのファンを惹きつけてきた。練習に遅れて現れた後輩選手が、後藤に向かって「ごめーんっす」と言ったからついたと言われている「ゴメス」の愛称も理解できる。だ、生き馬の目を抜くようなサバイバルが必要なプロの世界。「いい人すぎる」性格は逆効果になるとも言われる。後藤のことを最もよく知る1人である小池コーチに聞いてみた。
「プロになる選手はみんなそうだと思うけど、そのあたりはしっかり分けているんじゃないかな……。僕自身はそうだった。試合中はファイティングスピリットというか、闘争心もあった。絶対に勝ちたい、と思ってやっていた。後藤も普段はああいうやつだけど、野球をやっていた時は同じだと思います」
小池コーチのコメントを後藤にぶつけてみた。
「どうなんだろうなぁ……。試合の時は、性格そんなに良くなかったとは思いますよ。配球を読んだり、試合に勝つためにいろいろ考えた。その辺はしっかり切り替えられていたとは思います。でも、プロの世界はそんなに甘いものではない。ここで結果を出すことは能力や努力……、性格だけでなくいろいろなものがプラスにならないといけないですからね。今の結果が自分自身の実力だということ」
でも、もっと性格が荒々しかったら、と思ったことはあります。若い選手を見ていても、イケイケでやっているような選手が結果を出している。僕はそれをやろうとしてもできないんですよね。元々の性格というか……。西武から横浜に移ってきた時も、何か変えようとは思ったんですが、結局は元に戻っていた。これが自分自身だから変えることはできなかった。
気を遣うというわけではないけど、周りのことは考えるタイプ。それに誰もがフラットというか、みんなに対して同じように接してきたつもりですね。同じチームの一員だから、そこには年齢も何も関係ない。これは高校時代、いやもっと前からそうだったんじゃないかな。高校時代なんかはうちの仲間はそういう奴ばかりだったような気がする」
勝負に対する執着心は強かった。それがないと当然、高校日本一になったりプロの世界に入ることなどできない。しかし、周囲を気にかけ、誰とでも分け隔てなく接する。この部分に関しては変えることができなかったのだ。