伝説の「10・19」を振り返る 「失礼のないように」出場した4番打者【前編】
第1試合の途中から観客席に変化が
橘修球審の手が上がったのは、15時ちょうど。第1試合は1回に愛甲猛の2点本塁打でロッテが先制し、その後は締まった展開でゲームが進んだ。だが、夕方になるにつれスタンドに変化が出てきた。観客がみるみるうちに増えはじめたのだ。川崎球場は異例の超満員となり、入場できないファンが周辺にあふれ、周囲の建物の階段や屋上にまで人が集まっていた。
そんな中、4番に入っていた高沢は切望していたヒットが出ない。3打席目に凡退すると、次の打席で代打を送られてベンチに退いた。
「球団の方が打率の計算をしていてくれて、それに沿って監督が首位打者を維持しながらギリギリまで出られるよう配慮してくれました。第1試合でこれ以上ノーヒットだと第2試合に出せなくなる。監督からは『次の試合もあるから』と言われました」
だが、高沢が交代した8回裏の時点で試合は3-3の同点である。皮肉なことに、9回の攻防において、高沢の代わりに「4番・センター」に入った森田芳彦がことごとく“勝負の際(きわ)”に絡むことになる。
9回表2死二塁の近鉄最後のチャンスに、17年の現役生活最後の打席に入った代打・梨田昌孝が勝ち越しタイムリーヒットを打ったが、打球を処理してホームへ返球をしたのは森田だった。さらに、9回裏に緊急リリーフで登板した近鉄の左腕エース・阿波野秀幸をロッテが追い込み2死満塁としたが、本来なら高沢の打順で打席に入ったのも森田である。
俊足好守を売りとする3年目の森田に、異様な盛り上がりとなっていた大一番の打席はさすがに荷が重く、空振り三振に倒れて近鉄が薄氷の勝利を決めた。ベンチで見ていた高沢にとっても、いたたまれない心境である。
「僕が打席に立ったとして結果はどうなっていたかわからないですけど、個人のことでチームが動いたことについては申し訳ないと思っていました。森田にも『悪いなぁ』と」
しかし、それを引きずっている暇はない。第2試合は約20分後には開始されることになっていた。
(文中敬称略、後編に続く)
(「パ・リーグ インサイト」キビタキビオ)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)