戦力外通告を受けたスター選手たち かつて規定打席・規定投球回到達も…
◯成瀬善久(ヤクルト)
2003年、ドラフト6巡目でロッテに入団。06年に1軍初登板して5勝5敗の成績を残し、07年には24試合16勝1敗、防御率1.82、6完投4完封とエース格に成長して最優秀防御率、最高勝率の2冠に輝く。NPB屈指の技巧派左腕として、高校の後輩の西武・涌井(現ロッテ)、日本ハム・ダルビッシュ、楽天・田中将大(現ヤンキース)、ソフトバンク・杉内(元巨人、引退)らとともに、パ・リーグのスーパーエースの時代を形成した。
07年~12年に6年連続で規定投球回をクリアし、08年には北京五輪日本代表、2010年にはクライマックスシリーズのファイナルステージで、ソフトバンクを破って3位からの“下剋上”に貢献してシリーズMVPを獲得。12年は初の200イニング投球を達成(200回2/3)し、14年も規定投球回数にわずか1回1/3足りない142回2/3と活躍したが9勝11敗と負け越して、国内FA権を行使しヤクルトに移籍した。
しかし、ヤクルトでは3年間で6勝11敗の成績にとどまり、17年は0勝1敗とついに未勝利のまま終わった。そして4年目の今シーズンは1軍登板がなく、ついに戦力外通告を受けた。
◯由規(ヤクルト)
2007年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入団。高校時代、夏の選手権で時速155キロを出して中田翔(日本ハム)、唐川侑己(ロッテ)とともに「高校ビッグ3」と呼ばれ、プロ入り後も剛速球を武器に先発ローテーション入り。プロ入り3年目の2010年、167回2/3を投げて初の規定投球回に達し、12勝9敗、防御率2.86。大谷翔平(当時日本ハム)に破られるまで、日本人投手最速の時速161キロをマークするなど、ヤクルトの先発の柱として将来は明るかった。
しかし、11年以降は右肩の痛みに悩まされ、15年オフには育成契約に移行。ブランクを乗り越えて16年に5年ぶりの勝利を挙げ2勝3敗、昨年も10試合3勝5敗と復活への道をたどっているかに思えたが、今季は7試合1勝2敗の成績で戦力外通告を受けた。本人は現役続行の意向。
こうして見ると、選手としてのピークを過ぎてなお現役にこだわり、退団して移籍したものの、結果を残せず戦力外通告を受けた選手が多い。キャリアをどう終えるかは本人の自由だが、ファンとしてはかつて活躍した選手が戦力外通告を受けた報を聞くのは忍びない気持ちもあるだろう。特に、最近は各球団が若手育成にシフトしていることもあり、ベテランの居場所が狭くなっているのは事実。この中で、来年もユニホームを着続けられる選手は出てくるのだろうか。
(Full-Count編集部)