「あの時が一番成長した」―高校で高知留学、台湾人内野手が語る日本での経験
ロッテ秋季キャンプにも参加したリャン・ジャーロン、高校時代に父の反対押し切り日本へ
日本ハムに移籍した王柏融外野手が所属していたことでも知られ、2018年には2年連続台湾一に輝いた強豪、ラミゴモンキーズ。王溢正(ワン・イーゼン)投手(元DeNA)、陽耀勳(ヤン・ヤオシュン)外野手(元ソフトバンク)ら、日本でプレー経験のある選手も所属している。13年のドラフト1巡目で入団した梁家榮(リャン・ジャーロン)内野手は、高校時代に高知中央高に留学経験がある。本拠地の台湾・桃園国際球場で、日本での経験を流暢な日本語で話してくれた。
日本に留学するきっかけとなったのは、中学生の時に台湾で行われた試合を見に来ていた高知中央高の監督に「日本に来ないか」と声をかけられたことだ。幼い時から日本の野球を見ており、すぐにでも留学したかったが、両親は猛反対した。
「父が特に反対して、けんかになりました。でも僕は『絶対に行く』と言って反対を押し切って一人で日本に行きました。父とはそれから1年間、電話もしませんでした」
単身留学をし、憧れていた日本の野球に挑戦するチャンスを得たが、言葉が通じないことに加え、文化の違いに苦しんだと振り返る。
「最初は『わからない』しか言っていませんでした。でもそれを同級生に笑われて、悔しくて必死で日本語の勉強をして、少しずつ話せるようになりました。台湾と日本の野球は雰囲気が違うことにも戸惑いました。特に日本の礼儀には驚きました。監督が来るとみんな『おはようございます』って挨拶して『えっ、そんなことするの』と思いました」
夏の甲子園予選にも出場し、高知県大会準々決勝まで進出。台湾では高校野球も見ており、負けた時に選手達が悔し泣きをしている姿を不思議に思っていたが、実際に経験をしてその気持ちがわかったという。
「台湾は試合が多く、負けたら次の試合があるけど、日本は春と夏の甲子園に向けて練習し、負けたら先輩が引退していく。自分も負けた時はすごく悔しかったし、みんなが涙を流す気持ちがわかりました」