燕・館山、1000奪三振まで残り2も「興味ない」 畠山、最後の打席は「全力で」…一問一答
館山の記憶に残る試合は…「3度目のトミー・ジョン手術から復活した試合」
――引退を決意するにあたって相談した人は?
畠山「家族にはあまり見せたくなかったが、最終的にはしっかり話して決めた。誰と決めたというより、家族に支えられて頑張った結果が引退だった。家族には『お疲れ様でした』と言っていただきました」
館山「僕の場合は弱さを見せないというより、家族とともに戦ってきたという方が大きい。常日頃から弱みもみせますし、妻とは16年間、娘とは11年間一緒に話してきた。前を向く話も、あきらめる話もしてきたので、家族の中で完結しました。『お疲れ様でした』という言葉を(もらった)」
――チームの中では?
畠山「館山さんに」
館山「言わなきゃいけない雰囲気だからね(笑)」
畠山「いや、実際話しましたよ。決めた後、僕は来年どうしようというのはあったので、チーム内でこういうことをしゃべる人もなかなかいないので、館山さんとよくしゃべった。決めた時も最初に報告した」
館山「ハタケ(畠山)にも相談しましたし、1軍にも仲いい人はたくさんいるが、やはり戦っている人たちと僕たち退く人たちは分けて考えなければ。選手というよりは家族ですね」
――引退を決意したからこそチームにかけたい言葉は?
畠山「僕たちは先輩方に『最低一度は優勝してから引退しろ』と言われて、実際和の中心に入れてもらって、その幸せは何事にもかえがたい。現役生活上がるまでに必ず優勝をしてもらいたい」
館山「僕の大学1年生の時に同じリーグの石川さんを見て、ずっと憧れがあった。同じチームで17年間背中を追いかけてきたわけですが、チームによき背中、よき仲間、よき同士がいた。切磋琢磨して、自分がうまくなりたいという気持ちをもっと前面に出して、後輩たちにももっとチーム同士の絆を深めていっていただければ、チームはよりいい方向に向かうのでは」
――石川には報告をしたか?
館山「登板が近かったので、石川さんは勝ち頭ですし、大切な時期なので。次会ったら話そうということはありましたが、電話ではいい話をいただきました」
――記憶に残る場面は?
畠山「やっぱり優勝した最後の試合で、サヨナラで勝った試合。ファンの方の応援が、地鳴りのような応援が僕らにも届いていて。こういう中で野球できる幸せがすごく大きかった。また2軍生活を考えると、(当時)監督だった小川監督含め、猿渡コーチとものすごいランニング、ものすごい練習をしたというのが記憶に残っている」
館山「3度目のトミー・ジョン手術から復活した試合。5回途中で降りてしまって、チームに勝利を持ってくるような投球はできなかったんですけれども。シーズン中盤で、まだ抑えにイニング跨ぎをさせる時期ではなかったんですが、高津コーチが『今日の試合は絶対勝たなくちゃいけないんだ』と。セットアッパーの外国人たちも賛同してくれて、バーネットがイニング跨ぎをした。ベンチで見ていて、高津コーチがコールした時に僕もう、(泣きそうで)だめで。後ろに下がった。自分が投げたということよりチームとしてすべてが繋がった試合。自分が抑えた試合とかは特に(印象に)ないが、あの試合だけは忘れられない」