社会人野球の名将がなぜ大学野球に? 母校の慶大新監督に就任“特別な4年間”への思い
今年のドラフトでも9年連続でNPBに教え子送り出す
前JR東日本の監督で多くのプロ野球選手を世に送り出した名将・堀井哲也監督が12月1日に、慶応大学の新監督となって、母校に帰ってきた。慶大の人間としてグラウンドに訪れたのは実に36年ぶりのことだった。都市対抗野球大会では優勝1回、準優勝4回の成績を残した。今年のドラフト会議で教え子たちは9年連続で指名を受けた。今、なぜ大学野球の監督を引き受けたのだろうか――。
ある冬の日の午前8時。寒空の下で練習を始めた選手たちを見守る指揮官は、外野ネットを懐かしそうに見上げていた。
「学生の時はすごく高く感じましたよ。今、見ると普通の高さだけどね」
最寄り駅が様変わりして迷ってしまったと苦笑する顔からは、19年ぶりに大学日本一となったチームを引き継ぐプレッシャーより、初めて学生野球の指揮を執ることへの嬉しさを感じているようにも見えた。
堀井監督は静岡県出身。慶大野球部には80年から83年に在籍し外野手として活躍した。卒業後は87年まで三菱自動車川崎でプレー。引退後は三菱自動車岡崎で監督を務め、オリックスと巨人で活躍した谷佳知氏らを輩出。04年からはJR東日本で監督を務めた。
慶大監督の打診があったのは今年の8月頃だった。その時の心境を「自分のこの先の野球人生を考える中で、(最後は)大学なのかなと。この時が来たのかなという気持ち」と振り返る。
「大学4年間はどういう時期かといったら、人格形成。人生の“一大事業”に臨む時期。それは学校の勉強であり、仲間との時間であり、そしてもちろん野球であり。今思えば、自分もまさに基礎はこのグラウンドで叩き込まれた」
学生たちにも「トータルで社会に出る準備をしてほしい」と願う。JR東日本監督時代から、選手との対話を大切にしてきた。その姿勢は大学野球でも変わらず、就任後に部員全員と1対1の面談を行っている。学生たちの印象については「すごくしっかりしているし、一生懸命。それと、本当に純粋に野球をしている」。
社会人野球との違いについて問われると、「寮生活で寝食をともにする。これはやっぱり特別、学生ならでは」とし、自身の経験からも大学野球は“特別な4年間”と話す。野球人生の集大成として、母校への、野球への恩返しの思いも強い。
オフシーズンである現在、練習時間は3部制。A、B、Cの3チームに分かれ、午前5時半~午後6時頃まで行われている。堀井監督の生活リズムも変わり、起床時間はJR東日本時代より1時間は早くなった。「全員見ようと思うと、10時間以上グラウンドにいることになる。でもぜんぜん苦にならない。全部の選手を見たいし、グラウンドに長時間いるのは大丈夫」楽しそうに語る笑顔は、“社会人野球の名将”より、野球を心から愛する“永遠の野球小僧”の言葉が似合う。
(梶原麻貴 / Maki Kajiwara)