太田幸司氏、女子プロ野球の危機に重ねる自身の経験「僕も50年前すごい人気で…」

スーパーバイザーを務める太田幸司氏【写真:編集部】
スーパーバイザーを務める太田幸司氏【写真:編集部】

結果を出せずに心ない記事も「僕が人気を上げてくれって頼んだわけじゃない」

 日本女子プロ野球リーグのスーパーバイザーを務める太田幸司氏が、自身の苦い思い出と女子プロ野球の苦境を重ね合わせた。甲子園のスターとして絶大な人気を誇った後、プロ野球で結果を出せずに苦しんだ時期を振り返り、ファンやマスコミに温かいサポートを求めた。

 昨年11月に全選手の半分以上となる36選手が退団するなど危機に立たされている女子プロ野球。10日には2020年の新体制の会見を行い、経費削減のために全球団を京都に集約することを発表した。発足して間もない2009年8月からスーパーバイザーを務める太田氏は、「僕も50年前、ルーキーとしてキャンプをスタートしました」と自身の経験を語った。

 青森・三沢高ではエースとして甲子園に3大会連続出場し、3年次の1969年夏には決勝に進出。惜しくも準優勝に終わったが決勝では延長再試合の計27イニング、準々決勝からは連続45イニングを1人で投げ抜いて絶大な人気を集めた。同年のドラフト1位で近鉄に入団し、「自分で言うのはなんですけど、すごい人気で。甲子園のファンをそのままプロ野球に引き連れてきて、マスコミもその人気におんぶに抱っこでいいことしか書きませんでした」と振り返る。

 しかし1年目は1勝、2年目は0勝とプロでは壁に当たった。2年目のシーズンオフには打って変わって「太田、実力ない。人気先行」と心ない記事を書かれたという。「誰も僕が人気を上げてくれって頼んだわけじゃない。上げるだけ上げて梯子を下ろされる。そんな経験をしました。今の女子プロ野球の状況はそういうところがあると思うんですよね」と、大量退団に批判の声を集めている女子プロ野球の現状と重ね合わせた。

 それでも4年目に6勝を挙げると、5年目には10勝、6年目には12勝と順調に白星を伸ばして通算58勝をマーク。「そういう苦しい時にファンでも最初はワーっと言われたのが、結果が出ないとスーっと離れていく。そんな中でも、苦しい時でも応援してくれるマスコミの方もいらっしゃいました。最後まで応援してくれるファンの皆さんもいました。そういうのを支えに、曲がりなりにも15年、プロ野球でやれました」。苦しい状況でも支えてくれた人たちの声援を力に変えてみせた。

「まさに女子プロ野球はそういう状況だと思うんです」

 発足11年目にして規模を縮小することになってしまった。しかし水前寺清子さんの名曲「三百六十五歩のマーチ」の歌詞「3歩進んで2歩下がる」に例え、「後退はOKですよ。次のチャンスのために今はちょっと後退しても、また頑張れるような1年にしたいと思います」と決意を語った。

(工藤慶大 / Keita Kudo)

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