「3年連続40本塁打」の偉業に挑む西武山川 過去に達成した8人の業績は?
ローズや「ミスターブレーブス」も3年連続40本塁打以上を達成
○タフィー・ローズ氏(元近鉄、巨人、オリックス)
1674試合 1792安打 464本塁打 1269打点 打率.286 長打率.559
本塁打王獲得回数:4回
2年連続本塁打王(2003年~2004年)
40本塁打達成年:1999年、2001年~2004年(4年連続)、2007~2008年(2年連続)
1996年に来日したローズ氏はNPB初年度から日本球界に適応してチームの主軸打者となると、1999年には初の40本塁打を記録して本塁打王と打点王の2冠に輝く。近鉄が最後のリーグ優勝を果たした2001年には強力打線の中心として驚異的なペースで本塁打を積み重ね、当時の日本タイ記録となる55本塁打を記録。2003年にも51本塁打を放つと、巨人に移籍した2004年にも45本塁打。リーグをまたいで2年連続本塁打王という快挙を達成した。
2005年に巨人を退団して一旦は日本球界を去ったローズ氏だが、2007年にオリックスと契約してNPBに復帰。稀代のパワーヒッターは1年のブランクと39歳という年齢をものともせず、42本塁打を放ってその実力に衰えはないことを証明した。40歳で迎えた2008年には40本塁打、118打点で自身3度目の打点王に輝くなど、大ベテランとなってからも圧巻の打棒を披露し続け、外国人選手としては歴代最多の464本塁打を積み上げた。
○長池徳士氏(元阪急)
1449試合 1390安打 338本塁打 969打点 打率.285 長打率.534
本塁打王獲得回数:3回
2年連続本塁打王(1972年~1973年)
40本塁打達成年:1969年、1971年~1973年(3年連続)
阪急ブレーブスにとって第1回のドラフト1位指名選手でもある長池氏は、当時のパ・リーグを代表する強打者の一人として阪急打線をけん引した存在だ。プロ2年目の1967年から9年連続20本塁打以上、11年連続で2桁本塁打を記録。タイトルの面でも本塁打王と打点王を3度ずつ受賞し、100打点超えを記録した回数は4度。4番打者として長打力と勝負強さを発揮し、「ミスターブレーブス」と呼ばれる存在になっていった。
長打力のみならず4度の打率3割、6年連続打率.290以上と確実性も兼ね備え、リーグMVPも2度受賞。盗塁数日本記録保持者の福本豊氏や、2度の首位打者と3度の打点王を獲得した加藤英司氏といった名選手たちの後を打つ4番打者としてチームをけん引し、在籍時に9度のリーグ優勝を経験。ケガの影響で35歳で現役を退いたが、後に黄金時代を迎えるチームの礎を築き上げた長池氏が球団史に残る強打者だったのは論をまたないところだ。
○大杉勝男氏(元東映、ヤクルト)
2235試合 2228安打 486本塁打 1507打点 打率.287 長打率.519
本塁打王獲得回数:2回
2年連続本塁打王(1970年~1971年)
40本塁打達成年:1970年~1972年(3年連続)
大杉氏は張本勲氏と共に東映打線の中軸を担い、1968年から6年連続で30本塁打を記録。1969年からは6年連続で全試合に出場し、打率.339、44本塁打、129打点で本塁打と打点の2冠に輝いた1970年には、今もなおNPB記録として残っているシーズン15犠飛を記録している。続く1971年にも打率.315、41本塁打、104打点とハイレベルな成績で2年連続の本塁打王を獲得し、先述の長池氏と共にパ・リーグを代表する強打者として活躍を続けた。
1975年にヤクルトに移籍してからも活躍を続け、1978年には打率.327、30本塁打、97打点の活躍で、球団史上初のリーグ優勝に貢献するとともに、日本シリーズでは4本塁打、10打点でMVPに輝いた。1983年には両リーグで通算1000本安打達成という史上初の記録を達成。ヤクルトで記録した本塁打は199本と、史上初の両リーグ通算200本塁打まであと1本に迫りながら惜しまれつつも引退したが、まさに記憶にも、記録にも残る名選手だった。