捕手で大成しなくても… 小笠原、和田、北川ら打撃を武器に飛躍した一流プレーヤーたち
阪神から近鉄に移籍した北川は打撃を武器に「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」
ベテランになってから守備の負担を減らすために他のポジションに移るというケースは、捕手に限らずよくある話だ。その目的からして、最終的には他のポジションに比べればフットワークを必要としない一塁手への転向が多くなるのは理に適っている。今回取り上げた田淵氏と阿部氏に関しても、その法則に則った例といえそうだ。
阿部氏は当時26歳とまだ若かった2005年に、一旦故障の影響で負担の少ない一塁手での起用が多くなった。だが、翌年からは再び本職である捕手としての出場が大半に。それでも2009年以降も一塁手として守備に就く機会は存在し、首位打者、打点王、MVPと大活躍した2012年には再び一塁手としての出場が増加。2年後の2014年にも捕手111試合、一塁手24試合と2012年に似た数字となり、翌2015年からは本格的に一塁手へと転向している。
田淵氏は、本塁打王を獲得した1975年には捕手128試合、外野手5試合と、試合数は少ないながらも全盛期の頃から一塁手や外野手として出場する機会もあった。ベテランとなってからは一塁手を務める機会が増え、阪神での最後のシーズンとなった1978年、西武移籍初年度の1979年と、段階的に捕手としての出場が減少。そして、1980年以降は捕手としての出場はほぼなくなっている。
一方で、29歳と31歳のシーズンを取り上げた北川氏のケースは、先述した和田氏とよく似たものだ。阪神時代は1軍での出場機会に恵まれなかったが、2001年に移籍した近鉄では主に代打として活躍を見せ、同年に「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」を放って一躍注目を浴びた。2003年には規定打席不足ながら打率.300を超える好成績を残すと、その後は主に一塁手を務め、近鉄とオリックスの主力打者として活躍を続けた。
先述したように、年齢の影響で一塁手にポジションを移すケースが2つあったのに対し、和田氏よりもさらに高齢となってからスーパーサブとしてブレイクの足がかりをつかんだ北川選手のような例があるのも興味深い。出場機会を得るために積極的に新境地に挑む姿勢は、年齢を問わず実を結ぶ可能性が十分にあるということだろう。