「決めたことは、やり切る」 ソフトボール界の“女イチロー”山田恵里が高校生に説いた「明日をつくる力」
強い相手にも「勝てるという意識を持ち続けることで、結果は変わってくる」
「どうしてもかなわない相手に勝つには?」。そんな若き選手の切実な声に、山田は2008年の北京五輪で金メダルをかけて対戦した米国との一戦を例に挙げた。下馬評では誰もが米国の勝利を疑わなかったが「アメリカよりも練習していましたし、自分たちの力を出せれば絶対に勝てると思っていた」。その試合で山田は本塁打を放ち、悲願に貢献。「勝てるという意識を持ち続けることで、結果は変わってくると実感しました」と強烈な成功体験を共有した。
コロナの影響で、極端な制限を迫られた日常生活。行き場のない気持ちを抱え、モチベーションを失ってしまった生徒もいるだろう。山田も、金メダルを獲得した北京大会後、続く12年のロンドン大会では五輪競技から除外されたときの落胆を思い起こす。「目標を見失って、気持ちが入らずに、やめてしまおうと思ったこともありました」。燃え尽き症候群のような状態で、2年ほどは「抜け殻」に。それでも、周囲の支えや競技への思いをあらためて思い起こし「ソフトボールで恩返しを」と再起したという。長い自粛期間で我慢を強いられた高校生たちに対しても「早くグラウンドに立ちたいという意欲が湧いてきたと思うので、その気持ちをぶつけてほしい」と言葉をかけた。
熱い授業が繰り広げられる中、憧れの「女イチロー」に対し、ファン目線からの質問も。「一番打ちづらい投手は?」と問われた山田は、「やっぱり、上野さん」と即答。1学年上で、ソフトボール界の“レジェンド”である上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)について「ボールが速いだけでなく、変化もある。頭のいい方なので考えてボールを投げている感じがあるので、私も打席の中で考えさせられてしまう」と過去の対戦を思い出す。ただ、真剣勝負の空間は何物にも代えがたいようで「上野さんと対戦できることが幸せだなとワクワクしながら打席に立っています」と満面の笑みを見せた。
36歳になった今も、山田はトップランナーとして走り続ける。現状維持ではなく、常に成長し続けるためのヒントも示す。「あと一歩のところでなかなかうまくいかない」という質問に、こう返した。
「人と同じことをしていても結果は人より出せない。自分で限界を決めないというのは大切で、ネガティブよりポジティブ。気持ちひとつで変わってくる」
たとえば塁間ダッシュの時、ベースに到達したら終わりでなく、ベースの先まで走る。ノックでは、誰よりも1球多く捕る。練習を誰よりも先に始める……。ひとつひとつは細かいことでも、積み重ねていけば大きな差になる。「私自身、一歩先を考えて練習している意識はあります」と競技への向き合い方を語った。
インターハイ中止という現実を受け入れ、目の前にある最後の地方大会に気持ちを切り替えた彼女たちの背中を押すように、言葉にも熱が帯びる。「目標や目的を持つことで人は変われると思いますし、全力で取り組むことは今後の人生に必ず生きてくると思う」。高校生たちの表情はマスクでなかなかうかがえないが、画面を見つめる目は純粋そのものだと感じた。「明日っていうものは必ず自分でつくり上げることができる」。前途ある10代の選手たちへ、山田はそう締めくくった。
「自分も、もっとしっかりしないといけないなと、逆に力をもらいました」。授業後、そう山田は振り返った。リーグは9月に開幕予定で、その先には来年の東京五輪が待っている。感染拡大による自粛期間中は下半身強化を中心に取り組んでいたといい、夏以降の実戦に備える。五輪の延期もプラスに捉えており「相手の研究や自分と向き合う時間が長くなったので、本番に向けてその時間を使っていきたい」と見通す。
山田自身が高校生だった00年にシドニー大会を見て五輪への気持ちをふくらませたように、次は東京で夢を与える立場にならなければいけない。「こうなりたいと思ってもらえるようなプレーをしたい。何かを目指すきっかけになりたいと思います」。いま自分に課しているというテーマを、そのまま高校生たちへのエールに変えた。「自分で決めたことは、やりきってほしい」。その手本を示す責務をあらためて感じた1時間だった。
(Full-Count編集部)