「2度とプレーできないと…」 田澤純一、12年前の覚悟と後輩たちへの想い

BC埼玉武蔵に入団した田澤純一(右から2人目)【写真:佐藤直子】
BC埼玉武蔵に入団した田澤純一(右から2人目)【写真:佐藤直子】

BC埼玉武蔵で12年ぶり国内復帰、記者会見で問われた「田澤ルール」への想い

 元メジャー右腕・田澤純一投手が13日、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズと契約を結び、埼玉・熊谷市内で入団会見に臨んだ。会見では、自身が2008年に米レッドソックスとメジャー契約を結んだことを機に生まれた、いわゆる「田澤ルール」に関する質問もあり、「そういったルールがなくなってくれればいいな、という気持ちは、個人的にはあります」と率直な想いを語った。

 新日本石油ENEOS(現ENEOS)に在籍した2008年、都市対抗野球などで大活躍した田澤は、その年のドラフト1位指名候補として注目を浴びていた。だが、ドラフトを約1か月後に控えた9月11日、田澤は記者会見を開き、メジャーを目指す決意を表明。当時、ドラフト注目選手がNPB球団にドラフト指名を見送るよう求めることは極めて異例で、大きな波紋を呼んだ。その結果として、作られたのが「田澤ルール」だ。

 ルールの骨子は「アマチュア選手がNPBのドラフト指名、もしくはNPB入りを拒否し、海外球団と選手契約を結んだ場合、海外球団を退団した後も大卒・社会人は2年間、高卒は3年間はNPB所属球団との契約を禁止する」というもの。このルールに対する田澤自身のスタンスは、12年前から変わらない。

「日本では2度とプレーできないだろう」という覚悟、「自分が進みたい道を選んだだけなのに……」という正直な気持ち、「自分のせいでルールが生まれ、海外を目指す選手の選択肢を狭めてしまったのではないか……」という責任感、「田澤ルール」という言葉について回るネガティブなイメージへの戸惑い、などなど。「田澤ルール」の話になると、決まって表情は曇り、声色も困った様子になる。

 この12年で社会のグローバル化は進み、野球選手を取り巻く環境も大きく変わった。小学生は将来の夢に「メジャーリーガー」と書き、メジャーの情報やニュースは時差なく入手できる。さらに、NPB球団にメジャーのドラフト1位選手が入団する世の中だ。有望な日本人選手の海外流出を防ぎ、守らなかった選手に罰則を与える「田澤ルール」は、どこか座りの悪い、時代遅れのルールにも見える。

自身のNPB入りについては覚悟「ルールがあるのは従わないと…」

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