試合中に大阪から東京に帰った助っ人も… 燕V戦士が爆笑対談で選ぶ最強内野陣

90年代ヤクルト黄金期を支えた川崎憲次郎氏(左)と飯田哲也氏【写真:荒川祐史】
90年代ヤクルト黄金期を支えた川崎憲次郎氏(左)と飯田哲也氏【写真:荒川祐史】

ヤクルト黄金期を支えた2人が選ぶ「90年代最強ヤクルトベストナイン」内野手編

 1990年代に一大黄金期を築いたヤクルト。1990年から98年までチームを率いた野村克也監督の下、4度のリーグ優勝、そして3度の日本一という功績は、球史の中に燦然と輝く。当時クローザーとして大活躍したのは、今季から指揮を執る高津晋吾監督。その高津監督とチームメートとして時間を共有したのが、不動の中堅手としてゴールデングラブ賞を7度獲得した飯田哲也氏と、1993年の日本シリーズMVPに輝き、1998年には沢村賞を受賞した右腕・川崎憲次郎氏だ。

 今でも「てっちゃん」「憲次郎」と呼び合う仲良しコンビが「Full-Count」の特別企画に登場。2人に「90年代最強ヤクルトベストナイン」を選出してもらったのだが……。懐かしい思い出話に爆笑が止まらない対談の第3弾は、内野手編をお届けする。

 ◇ ◇ ◇

飯田「まずはファースト。僕の中ではペタジーニ」

川崎「僕も同じくですね」

飯田「一致したね。何がすごいって、ボール球を振らないんですよ。出塁率がメチャクチャ高くて(NPB通算出塁率.438)、大事な時にホームラン打つんでやっぱり凄い。最強外国人って言っても過言じゃないくらい凄いよな」

川崎「あれは凄かったですね」

飯田「日本に来る外国人って、最初は戸惑いとか、アメリカの野球との違いとかあるんですよ。ストレートは打つけど変化球は打てないっていう選手も多いけど、ペタジーニは最初から対応していた。最初からいい成績が出ているんで凄いなと。期待通りに打ってくれるんですよ。点を取ってくれるだろうなって思うと打ってくれるみたいな感覚だよね」

川崎「そういう外国人がもう1人いたんですけど、あとで言いますね(笑)」

飯田「試合中に帰っちゃった時あったよね」

川崎「ペタ?」

飯田「大差で勝っている試合の時に、ペタジーニが(若松)監督に替えてくれと。甲子園だったんですけど、最終で東京に帰りたいからって。結構、点差があったんで監督も了解して帰したんですけど、そんなこといいの? って(笑)」

川崎「最終が9時くらいでしたよね」

飯田「そうそう。ペタジーニは(オルガ夫人に)すごく惚れていて、大阪から帰らせてくれっていうのも、オルガが東京にいたわけ」

川崎「いつも2人でしたもんね」

飯田「試合後は毎日、神宮のクラブハウスにいますし、来ない日はない」

川崎「オルガさんは婦人会とかに行ったんですかね?」

飯田「行ってないでしょ、さすがに」

川崎「あれだけ毎日来ていても、言葉が通じないから。岡林(洋一)さんくらいだからな、通じるのは。生まれがパラグアイだから、スペイン語ができるんです(笑)」

飯田「今はスカウトで頑張ってます」

2人が選ぶ最高の二塁手は「いぶし銀」「与えられた仕事をキッチリこなす」タイプ

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