野球の「知りたい」がここに。ベースボール専門メディア

反対押し切り父が監督の名門校に…甲子園の夢絶たれても縮まった親子の距離

秋風が空を通り抜ける。特異で、特別な夏が終わった。「誰にもできない経験ができました」。市立船橋の主将・櫻内俊太捕手は、涙のあとに目一杯破顔した。甲子園がなくなった虚しさを胸に押し込め、千葉県独自大会を戦い抜いた悔しさと充実感。そして、もうひとつの感情が胸を満たす。同じユニホームを着て、ベンチから厳しくも暖かい視線を送ってくれた存在への感謝が溢れ出た。

市立船橋の櫻内俊太と父・櫻内剛監督(左から)【写真:本人提供】
市立船橋の櫻内俊太と父・櫻内剛監督(左から)【写真:本人提供】

千葉・市立船橋で独自大会ベスト4、ひと夏の物語

 秋風が空を通り抜ける。特異で、特別な夏が終わった。「誰にもできない経験ができました」。市立船橋の主将・櫻内俊太捕手は、涙のあとに目一杯破顔した。甲子園がなくなった虚しさを胸に押し込め、千葉県独自大会を戦い抜いた悔しさと充実感。そして、もうひとつの感情が胸を満たす。同じユニホームを着て、ベンチから厳しくも暖かい視線を送ってくれた存在への感謝が溢れ出た。

【PR】セ・リーグを代表する選手たちのオリジナルコンテンツも セ界を変えるエネルギーを。「JERA セ・リーグ」特設サイト

 夢は甲子園。高校に進学した球児が誰だって掲げる目標を、少年時代の櫻内も抱いていた。それが漠然とではなく、明確な目標として意識できたのは、父のおかげでもあった。市立船橋出身で、母校の指揮を執って2007年に甲子園出場を果たした櫻内剛監督。夢の場所で、ベンチからサインを送るお父さんの姿が、櫻内少年の中で憧れの存在に変わった瞬間でもあった。

 父の現役時代と同じ捕手となり、野球部の指導で忙しい中無理を言って教えを乞うた。父と子というより、指導者と選手。だから、櫻内は当たり前のように市立船橋への進学を相談すると、厳しい言葉が返ってきた。

「他の選手と比べて同じレベルだったら使わない」

 勝負の場に、身内の情けは不要。櫻内も分かっていた。周囲からは色眼鏡で見られることもあるかもしれない。それでも、父のチームに入りたい気持ちに疑いはなかった。厳しい環境で自らを追い込み、競争に勝って堂々と父にレギュラーだと認めさせる自信もあった。

人気記事ランキング

  • 「Full-Count」×「teams LEAGUE」
  • 「NO BASEBALL, NO LIFE.」 ×「Full-Count」