「その場にいることがきつかった」 阪神2位のJR東・伊藤の胸に残る“18歳の記憶”
横浜高ではエースで甲子園出場、国際武道大、JR東日本を経て、プロへ
6年前の秋。横浜高の3年生だった伊藤将司投手は歓喜の輪の外にいた。中心には2014年ドラフト会議で日本ハムから3位で指名された浅間大基外野手と7位の高濱祐仁内野手。ナインによる胴上げが始まっても、その場を動こうとはしなかった。
「あの時は、その場にいることがきついなぁって思ってしまって。2人が指名されて、会見も見て、心から嬉しくて拍手もしました。でも、胴上げをすることができなかったんです」
今秋のドラフト会議、2位で阪神に指名された即戦力左腕、JR東日本の伊藤は当時から彼らに負けないほどの能力を持っていた。横浜高のエースとして活躍。力強いストレートとスライダーを武器に、公式戦で10者連続三振を記録するなど、神奈川を代表する投手だった。浅間や高濱、明大に進み楽天入りした渡邊佳明内野手らとともにセンバツにも出場した。
進路をプロにした浅間らと同様、伊藤もその道を目指したが、家族や当時の渡辺元智監督らと相談し、夢を封印した。「プロに行きたい気持ちはありましたが、通用しないと思いました。大学に進んでレベルアップしようと決めました」
夏場には進学を決めて、気持ちは切り替えていたが、目の前でプロの扉を開いた仲間を見ると、悔しさがこみ上げた。自分の手で彼らの体を押し上げる気持ちにはなれなかった。
その悔しさは、伊藤の原動力になっていった。
千葉の名門、国際武道大に進むと1年春からリーグ戦に登板。2年春には3完封を含む6勝とエースの階段を昇る。大学の授業でも体の構造的な部分も学び、着実にフィジカルも進化。大学侍ジャパンにも選出された。しかし、大学4年春、肘痛に襲われた。炎症のため、約2か月間、投球ができなかった。
それでも、封印していた夢を解く時と信じ、プロ志望届を提出した。だが、そんなに甘い世界ではないこともわかっていた。「ドラフト会議当日、自分と一緒に喜びたいと待っていてくれた仲間がいたのに(名前が呼ばれず)彼らに申し訳ない気持ちになりました」。指名漏れの悔しさよりも、そんな思いがこみ上げてきた。