長嶋茂雄氏が左手で描いた“のれん” うどん店主となった元巨人右腕が語る感謝の思い

元巨人・條辺剛氏【写真:宮脇広久】
元巨人・條辺剛氏【写真:宮脇広久】

現役時代の躍進のきっかけもミスターのひらめきだった

 2000年に巨人の19歳高卒ルーキーとして颯爽と1軍デビューを飾り、その後もイケメンのリリーフ投手として活躍した條辺剛(じょうべ・つよし)氏。右肩を痛め24歳の若さで現役引退後、本場・香川県でうどん作りを1年半修業し、08年に埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺」をオープンさせた。いまや人気店として知られている。マウンドから厨房へ活躍の場を移した條辺氏が、波乱万丈の半生を振り返る第3回(最終回)。

 條辺氏はオープン前、店の名前を「讃岐うどん 麦」にしようと考えていた。「麦」とは愛犬のトイプードルの名前で、「うどんの原料は小麦粉だし丁度いい」というわけだ。

 ところが、同じ徳島県阿南市出身で、條辺氏のプロ入り当時の巨人1軍投手コーチであり、親身に相談に乗ってくれていた水野雄仁氏は、これを一喝。「なんで、おまえの名前を出さへんねん! 商売をなめたらあかんぞ」と。確かに、せっかく巨人で活躍して得た知名度を生かさない手はなかった。

 さらに水野氏が頭をひねってくれた。「商売は最初が大切や。メディアに取り上げてもらうために、何か目玉がほしい。おまえの名前だけじゃ薄い。そうだ、ミスターに頼もう!」。水野氏が同い年の長男・長嶋一茂氏を通じて頼み、“ミスター”こと巨人・長嶋茂雄終身名誉監督がのれんの文字を書いてくれることになった。ミスターは04年に脳梗塞で倒れ、利き手の右手が不自由になっていたが、厭わずに左手でしたためてくれた。

ミスターから送られてきた色紙は、漢字で「條辺」、ひらがなで「じょうべ」の2枚

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