イチロー氏ら「ドラ4」の高卒外野手は“出世コース”? 飛躍が期待される西武の22歳

栗山巧の年度別成績【表:PLM】
栗山巧の年度別成績【表:PLM】

西武・栗山と小関コーチはともに4年目でブレーク

 栗山は育英高校から2001年のドラフト4位で入団したが、プロ入りからの3年間では計1試合出場にとどまっていた。しかし、4年目の2005年に286打数で10本塁打を記録し、打率も3割近い数字を残してブレークを果たす。同年のプレーオフでも1番打者として起用され、千葉マリンスタジアムでの第1戦で初回先頭打者初球本塁打を放つ活躍。1軍の戦力として、確かな存在感を発揮した。

 2年後の2007年には初めて出場試合数を3桁に乗せると、2008年には2番打者としてレギュラーに定着。自身初タイトルとなる最多安打を獲得してベストナインにも輝き、主力選手としての地位を確立した。その後も中心打者として長きにわたって活躍を続け、通算4度のベストナイン、1度のゴールデングラブ賞を受賞。高い打撃技術と優れた選球眼を活かして、現在に至るまでチームに貢献し続けている。

小関コーチの年度別成績【表:PLM】
小関コーチの年度別成績【表:PLM】

 1990年代後半から2000年代にかけて、中心選手として西武を支えた小関コーチは国学院栃木高から1994年ドラフト2位で入団。ルーキーイヤーには1軍での出場がなく2、3年目もそれぞれ1試合の出場にとどまっていた。だが、プロ4年目の1998年に1軍定着を果たすと、そのまま右翼手のレギュラーの座を確保。俊足、小技、選球眼といった持ち味を活かして堅実な働きを披露し、同年のリーグ優勝にも貢献。その活躍が認められ、同年のパ・リーグ新人王にも輝いた。

 その後も不動のレギュラーとしてチームを支え、2002年にはそれぞれ自己最高となる打率.314、153安打、43犠打を記録。緻密な西武野球を体現する存在の1人として、チームに貢献し続けた。大きく出場機会を減らした2005年オフ、米球界挑戦のために西武を離れ、その後は巨人と横浜でもプレー。引退後は2011年から2018年までコーチとして巨人に在籍し、2020年から古巣の西武に指導者として復帰している。

 栗山と小関コーチ、鈴木は俊足、好守、シュアな打撃を武器にするという点で、プレースタイルに共通点が見られる。それだけでなく、鈴木はドラフト4位で静岡高校からプロ入りし、4年目のシーズンに1軍定着への足がかりを作ったが、栗山と小関コーチがそれぞれ1軍の舞台で台頭を見せたのもくプロ4年目のシーズンだった。

 こういった要素からはある種の不思議な因果を感じるが、栗山も小関コーチもプロ4年目のブレークを一過性のもので終わらせることなく、その後もチームの屋台骨を支える存在となっていった。鈴木の現在のプレーぶりを見れば、今後のチームをけん引するような選手へと飛躍を遂げていく可能性は大いにあるだろう。

日本ハム中田&西川も高卒4年目のシーズンに飛躍を遂げていた

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