この夏、甲子園に立つ女子高生へ――史上初の兄妹プロ選手・川端友紀が贈るエール

人生の空白期間に運命の女子プロ野球誕生、楽しさ思い出し受験

 ここで川端の人生には空白期間がある。高校卒業時にはソフトボールを極めようと、実業団の塩野義製薬入りした。ただ上手くいかずに、半年ほどで退社する。まる1年が過ぎたころ、救いの手が差し伸べられた、和歌山県代表として国体成年の部に招集されたのだ。ブランクが大きく、通用しなかったのが悔しくてトレーニングを再開した2009年の秋、女子プロ野球が創設されるという情報が届いた。忘れていたはずの野球への想いに火が付いた。

「まずは『ウソ?』っていうのが一番の感想ですよ。でも、やってみたいなと思ったんです。実は男子の独立リーグに入ってみないかという話もあったんですけど、それは『無理だと思います』ってお断りしました。野球はそんなに甘くないぞと思っていたので」

 挑戦しようか迷っていると、ある記憶が蘇った。小学校4年の時、リトルリーグに所属する女子だけで試合をした経験があった。「ものすごく覚えているんです。女の子だけでできた喜びで、本当に楽しめた。男子に負けたくないとかじゃなくて……」。そして、兄の存在も大きかった。「もうヤクルトに入っていましたからね。私もプロになってみたいなって」。トライアウトへの準備を始めた。

 当日、会場には100人を超える選手が集まった。そろいのユニホームを着た選手を見て「どこにそんなチームがあるの?」というのが最初の疑問だった。川端は練習着に、ソフトボール用のサンバイザーをかぶった姿。「だから『バイザー』って呼ばれてました」と笑いながら、運命の1日を振り返る。投手と内野手で受験し「距離感は難しかったですけど、もっとやりたいな」という充実感が残った。ドラフト会議で名前を呼ばれると、武者震いに襲われた。

 のちの強打者のプロ生活は、ソフトボールでの経験もあり投手としてスタートした。しかし最初のキャンプで肘を痛め、打者に転向。久々の野球には戸惑いもあった。ひたすらマシンで変化球を打ち、慣れようと努力した。兄にもアドバイスを求めた。大きな問題は打撃よりも、初めて取り組む遊撃守備で「ソフトボールには、牽制もなければリードもない。そこから覚えないといけなかった」。もう一度ルールから叩き込み、無我夢中で時間は過ぎていった。

信じられないほど女子野球界が変化「高校でやってみたかった」

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