イチロー氏だけではない 甲子園Vの智弁和歌山・中谷仁監督、一流に磨かれた感性

2013年の侍ジャパンではブルペン捕手としてWBCに参加した

 2012年の巨人では日本一になっている。中谷監督自身、シーズンの出場は5試合に留まっているが、春先から夏頃まで1軍に帯同。坂本勇人、長野久義、内海哲也、山口鉄也らが主力選手で活躍していたその裏でプロ15年目のベテランは精神的な支えとなっていた。“支柱”とまではいかないが、困った時の聞き役で、押し付けるようではなく、優しく経験談で寄り添うイメージ。ベンチから大声でチームを盛り上げる姿も若手の手本だった。

 数字には残らなかったが、中谷監督がこの年、残したものは大きかった。2012年を最後に現役を引退も、大きな仕事が待っていた。侍ジャパンのブルペン捕手だった。中谷監督のような存在は貴重と考えた前回優勝監督でもある巨人・原辰徳監督が2013年のWBC日本代表のスタッフとして、山本浩二監督(当時)らに推薦をしてくれた。後日、そのように伝え聞いた中谷監督は貴重な経験を与えてくれた原監督に感謝し、海の向こうでもチームを支えた。

 楽天時代にバッテリーを組んでいた田中将大投手もWBCに選出。聞かれたことに対して率直な思いを伝えた。巨人からも坂本、長野をはじめ内海、山口、杉内俊哉、澤村拓一投手ら投手陣が選ばれていた。短期決戦で良い時も悪い時も知るブルペン捕手の存在は心強かっただろう。一流の近くで感性を磨き、的確に言葉で伝える。智弁和歌山監督になった今も、土台となっている部分だ。それを作ったのは酸いも甘いも噛み分けた野球人生だった。

 2013年は巨人の裏方としてチームを支えた後、退団。指導者の道を目指しながら、野球塾で子どもたちに野球を教えていた。丁寧な指導は保護者、選手からも評判が高かった。2014年に学生野球資格を回復したが、この時の中谷監督は子どもたちに野球の魅力を伝えたい、野球の指導がどのように変化しているのかをその目で見たいという思いが強かったように思える。2015、16年には阪神ジュニアのコーチも務めた。15年のチームには徳丸天晴、高嶋奨哉、石平創士、高橋令といった今年の智弁和歌山の主力がいたのも、運命的だった。

 紆余曲折を経て、2017年4月にコーチとして母校へ戻ることに。指導者になる目標が叶うとはいえ、責任のある仕事だった。選手が悩んだら、時には元プロの名前を例に出して、わかりやすく、親しみやすく伝えた。自分にしかできない能力の引き出し方で、選手を開花させていった。2018年に高嶋仁名誉監督の後を継ぎ、監督就任。強打の智弁和歌山を復活させ、就任3年目での悲願達成となった。恩師への感謝も忘れずに一打席、一球、一勝にかける執念を学び、独自の色を出していった。

高嶋仁名誉監督から受け継いだ魂、新たな中谷イズムで頂点へ

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