知的障害児は甲子園を目指せるのか 大人の努力次第で広がる子どもたちの可能性
参加者の父「グラウンドでは一般の人と同じ1人として扱ってもらえる」
「甲子園夢プロジェクト」から参加したのは13人。最も遠方からの参加となったのは、京都市立白川総合支援学校3年生の村田敦くんだ。軟式野球部に所属する村田くんの技術レベルは高く、学生時代は日本体育大の硬式野球部で活躍した久保田さんも「一般校の硬式野球部でもレギュラーをとれるくらい」と太鼓判を押す。
プロジェクト参加第1号も村田くんだった。記事でプロジェクト始動を知った父・真一さんは、その日のうちに久保田さんに電話。「こういう活動を待っていました!」と喜びを伝えた。敦くんは小学2年で野球を始め、中学からクラブチームに参加。現在通う学校も高野連に加盟する軟式野球部があることが最大の理由だった。自身もコーチを務める真一さんは、この日もグラウンドで元気に仲間に声を掛ける息子を見守りながら「グラウンドでは一般の人と同じ1人として扱ってもらえる。障害があっても『何かできる』ということを経験させてあげられる場でもあります」と目を細める。
この日が2度目の参加だったのが、菅野駿太くん(横浜市立原中学校3年生)だ。地元球団のDeNAが大好きだという駿太くんは小学4年で野球を始め、6年時には主将を務めたほど。だが、発達障害により団体行動を取りにくい時があるため、中学からは障害者野球チーム・横浜メイキングスで白球を追う。父・圭介さんは「スポーツを通じて仲間の大切さを学べるし、色々な人との出会いもある。とにかく楽しく野球をさせてあげたい」とプロジェクトに参加した。「やはり甲子園は憧れの場所。障害があっても目指したい気持ちは同じ。チャンスがあればと願う人は多いと思います」と話す。
初めて練習会の取材に訪れた報道陣に、久保田さんは「今日、見ていてどう思いましたか?」と質問する。返ってくる答えは決まって「知的障害がある子どもたちが、ここまでできると思いませんでした」。すると、久保田さんはこう続ける。
「ですよね。だから、周囲の大人が思い込みで彼らの可能性を閉ざしてしまってはいけないんです。彼らが挑戦できる場所を提供すること、そして安全に野球ができる方法を考えることこそ、大人がやるべきことだと思うんです」
キャッチボールをする時はボールが飛んでいきそうな場所には人を立たせない。一塁走者にリードの幅を指示する時は「もう少し大きめに」と漠然とした表現ではなく「あと3歩、二塁に近づいて」と具体的な言葉を投げかける。知的障害がある子どもたちが野球を楽しむ環境は、大人たちの工夫次第で整っていく。