球史で最も無情な時間 「なぜ守らないと…」“10・19”の裏にあった猛者たちの涙

翌年は近鉄が9年ぶり3度目のリーグ優勝を果たす

 試合を終え東京都内の宿舎に戻ると、仰木監督は選手たちを労った。場所は皮肉にも祝勝会の準備が進められていた宴会場。死力を尽くし130試合を戦い抜いた近鉄ナインは涙を流した。

「終わったなと。これまで選手として優勝を経験したことがなかった。アマチュア時代は強い学校(PL学園、法大)でやっていたし、プロではAクラスもあったが、ほとんどBクラス。勝つ喜びをなかなか味わえなかった。こんな大きなチャンスでもダメだったのか。プロでは無理なのかなと思っていた」

 だが、この“伝説の試合”には続きがあった。翌1989年、近鉄は西武、オリックスと激しい優勝争いを続けた。シーズン終盤の西武戦、主砲ブライアントの4打席連続本塁打が飛び出すなど、勢いのままにマジック「1」を点灯させ、最後は本拠地・藤井寺球場でのダイエー戦に勝利。1980年以来、9年ぶり3度目のリーグ優勝を達成するのだった。

「もう、これでプロ野球に何も思い残すことない。プロ野球選手になった初めは、1軍で出た証がほしい。次はレギュラー、オールスター、日本シリーズを体験できればと思っていた。巨人に日本シリーズで敗れて日本一にはなれなかったが、自分のやってきた証を残せたことは嬉しかった」

「見てもらう人に感動を与える。それがプロ野球。当時は悔しさしかなかったが、優勝を逃したことで“10・19”はクローズアップされる。これからも、野球ファンの心に残る試合があることを願っています」

 優勝を巡る“10・19”の悲劇を経験し、その雪辱を晴らした1989年。新井にとっては選手として最初で最後のリーグ制覇だった。

【前編】「This is プロ野球!!」 伝説の“10・19”で生まれた名言、語り継ぐ近鉄戦士の本音

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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