島根から東海大相模に進学した笹田海風 夏の悔しさを糧に…捕手で目指すプロ
最後の夏は決勝で横浜に敗退「負けてしまったら何も残らない」
正捕手を目指して入学したが、同級生の谷口翔生の壁は厚かった。送球の精度、ゲームメークに長け、新チームで背番号2を着けたのは谷口。笹田は3年春から打力と肩を買われて、サードに回り、バッティングで欠かせない存在になった。 同期の求航太郎が「自分たちの代はみんなよく練習するんですけど、自主練習を一番やっているのは笹田」と話すように、寮でも室内練習場でもバットを振り続けた。
副キャプテンとしても、プレーと声でチームを鼓舞した。門馬監督に誘われて入学したが、2年の新チームを迎えるときに、原俊介監督に交代。監督も選手も、どこか遠慮しながら、探り探りのまま戦い続け、3年春は準々決勝で桐蔭学園に5-9で敗戦。県内の連勝記録が59で止まった(コロナによる出場辞退は除く)。
その翌週、キャプテンの松山拓馬とともに監督室を訪ね、「原先生はどういう野球を目指しているのか、教えてください」と聞いた。夏まで残り3か月、悔いだけは残したくなかった。
夏の決勝で横浜に敗れたあと、笹田はグラウンドに突っ伏して泣いていた。今もその悔しさが蘇るという。
「ふとしたときに、『甲子園に行きたかったな』と思います。お父さん、お母さんに頭を下げて、島根から相模に来させてもらって、甲子園に行くことが恩返しだと思っていたので、両親に本当に申し訳ない。正直、負けてしまったら何も残らないと思いました」
もちろん、3年間やってきた努力が、無になるわけではない。笹田本人もわかってはいるが、それだけ夏の敗戦は大きなものだった。「これだけのことをやってきた、努力をしてきたと思っても、負けてしまうと……。そう考えると、勝負事は絶対に勝たないといけない。今でも、めちゃくちゃ悔しいです」。