教室で見届けた“白河の関越え” 「さすが…」須江監督の手腕にうなる同級生指揮官
部員と見た白河の関越え「100年の歴史に残る経験をした子たちと同じ代で戦える」
「自分たちのプレースタイルの中で変えるべきものと、変える必要がないものを徹底しているところはさすがだなと思いますね。須江は、監督としてはまだベテランではありませんが『生徒をこう指導したらこう成長した』といったような経験は、明らかに同級生の中では長けています。生徒が納得して頑張るための目標の立て方や、実践して指導する手立てを確立している。これからの指導者をけん引してくれる存在なんじゃないかなと思います」
下関国際(山口)との決勝が行われた8月22日は、夏休み明けの開講式や大掃除、実力テスト、授業と慌ただしい1日だった。「リードしているとか、満塁ホームランが出たとか。周囲からは聞いていました」という芳賀監督は1年1組、英語科の担任として帰りのホームルームまで終えると、野球部の1、2年生を教室に集めた。画面の向こうの甲子園決勝はすでに9回2死。わずかな時間だったが、“白河の関越え”の瞬間は教え子たちと目に焼き付けた。そして、その場で、こんな話をしたという。
「仙台育英は試合に出ていた2年生が多く残っている。100年の歴史に残る経験をした子たちと同じ代で戦えるのは光栄なこと。同じ県内で乗り越えるべき壁としていることは、みんなが頑張る糧になるね」
その言葉を聞いた仙台東ナインはどう感じただろうか。
芳賀監督のスタンスは「促す」。中学生を教えたことや、特別支援学校での講師経験から「指導というより、支援の方が色濃い」という。「何に困っているの?」とたずね、「どうしたらいいと思う?」と考えさせる。
「芳賀先生の教え方は“問いかけ”ですかね」と話すのは、秋に背番号1を付けた有銘孝太朗(2年)。父・兼久さんは楽天で活躍した左腕だが、息子は右上手投げだ。
「声を荒げる指導者だと、プレーが縮こまってしまう選手もいると思いますが、芳賀先生は声を荒げることはありません。怖くないからといって自由にやるわけではありませんが、のびのびとできているかなと思います。ピッチャーとしては、状況を見ながら配球していくことをよく指摘していただいています」
宮城大会決勝で聴きたい「戦闘開始」…「E・A・S・T 東!」で
仙台東のグラウンドでは、過度に指導者の「目」を気にしている様子がない。芳賀監督は組織のスタイルとして「私からの一方的なトップダウン型でもなく、時間がかかるので選手が自由に考えてやるボトムアップ型でもなく、“ミドル”をうまく機能させるようにしています」と、ミドル・アップダウン型のチーム運営を心がけている。そうしたチーム作りをしながら、選手たちには「甲子園は目指す価値がある場所」と伝えている。
昨夏からは「仙東開始(せんとうかいし)」というチームのテーマを設けている。東北地方でいえば、花巻東(岩手)や鶴岡東(山形)は野球の強豪で、山形東や福島東は進学校。「全国に○○東高校があるけど、君たちが入ってきた仙台東ってどういう学校?」と芳賀監督は問い、ステージをひとつ上げるよう、促している。
「仙東開始」は、人気レゲエグループ・湘南乃風の「SHOW TIME」を使った野球応援の「戦闘開始」から仙台東を略した「仙東」を合わせたもの。芳賀監督は「勝手な目標なんですけど」と前置きした上で、密かな夢を明かす。
「うちには全国レベルの吹奏楽部があるので、ぜひ『戦闘開始』を吹いてほしいな、と。E・A・S・T 東! で。それを県大会の決勝で聴いて、甲子園に行けたらいいな、と思っているんです。“仙東”はうちしか使えませんからね」
「学校のいち教員として生徒たちと関わりたい」と公立高校の教員になった芳賀監督。仙台東らしさを求めながら部員たちに伴走し、仙台育英という“壁”に挑んでいく。
○高橋昌江(たかはし・まさえ)1987年生まれ、宮城県出身。大学卒業後、仙台在住のフリーライターとなる。中学から大学まで10年続けたソフトボールの経験を生かし、東北地方を中心に少年野球からプロ野球まで取材。専門誌や地元スポーツ誌、Webサイトなどに寄稿している。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)