築き上げたのは強力ならぬ“協力打線” 弱小軍団が強くなる…少年野球指導者の導き方

子どものたちの手にはテーピングが…毎日自主練習をするようになった

 ある土曜日の練習。驚いたことがありました。「おはよう」って声を掛けた子どもたちの手を見ると、5人全員が手にぐるぐるとテーピングを巻いているではありませんか。素振りでマメができ、血も出ていた跡があります。「お前らどうしたんだ?」と聞きました。

 子どもたちは「いや、別に……」「何でもないです」と口を閉ざしていました。保護者に聞いたところ「絶対にメダルを取りたいんだ」と言って、平日に全員で集まって毎日練習をしていたというのです。その時、僕が落ち込んでいる場合ではないんだなと思うようになりました。子どもたちが信じて頑張っているのに、自分も勝たせてあげる方法を探さないといけないと思いました。子どもたちの目が変わったことで、基礎も身についていきました。

 当時のリトルリーグはどちらかというとホームランバッター、いわゆる強打者を揃えた方が強いという風潮がありました。5人の子の中に一朗(いちろう)という一人、ホームランバッターがいたのですが、その子以外はみんなで、繋いで、繋いで、なんとかその一朗に回そうという意識でいました。強力打線ではなく、“協力打線”というチームカラーになっていきました。

 その頃から、一気にチーム力がついてきました。最後の最後で、大会準優勝に輝き、メダルを取るチームにまで成長しました。彼らからは、夢は願い続け、さらに努力をすれば叶うものなんだと教えてもらいました。僕の指導者人生の中で最弱だったチームが「最強」ではなく、“最協”のチームになりました。信じて、向き合うことが大事なんだなと。

 最後の大会は2回戦くらいで負けてしまったんです。負けてもうみんな泣き崩れてしまった。そこで一朗が「挨拶して、円陣を組んで、相手にエールを伝えてまでが“試合”だから、きちんとやろう。泣くなら、その後に泣こう」とみんなに声をかけていたんです。小学6年生でそんなことを言うのかと思って感動しましたね。一朗は今も名門大学で頑張って野球を続けています。

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