予期せぬ抽選に「やばい」 ロッテ入りの願い届かず…焦りで騒げなかった広島入団
1983年ドラフト…川端順氏を広島とロッテが1位入札した
運命の日はオーストラリアで祈った。1983年11月22日、東京・飯田橋の「ホテルグランドパレス」で行われたプロ野球ドラフト会議で、東芝の川端順投手を広島とロッテが1位入札した。抽選の結果、広島が交渉権を獲得したが、オーストラリア遠征中だった川端氏は実のところ「くじを引く間はロッテ、ロッテと願っていた」という。当時の広島は「投手王国」として有名だったからだ。
現在は故郷の徳島・松茂町で町議を務める川端氏が40年前を振り返る。1983年のドラフト前、東芝残留を全く考えなかったわけではなかった。「その時、まだ(法政)大学を卒業できていなかった。単位が足りていなかった。東芝は大学の勉強をすることも許してくれていたし、残留すれば(1984年の)ロサンゼルス五輪に出場できそうだったんでね」。しかし、最終的には大学中退となっても「病気の親父の夢をかなえたい」とプロ行きを優先した。
マスコミには「巨人、西武、ロッテ、中日以外なら行きます」と口にした。「巨人と西武は『強いチームなので、そういうところを倒したい』というのが理由。中日に関しては『土地柄を知りません、小心者なんで、ちょっと』、ロッテについては『川崎球場が……』と言ったと思います」。そんな中、特に熱心に誘ってくれたのは“拒否”の対象に入れたロッテだった。
「ロッテさんは何回も来てくれた。徳島の僕のアマチュアの時の後援会長が鳴門におられたんですが、ロッテのスカウトはそこにも行っていた。熱意を感じました。後援会長からも『ロッテさんはそこまで必要としているぞ。どうや』って言われて『分かりました』と答えた。その次の日にロッテのスカウトの方が、2人来られた。(東芝の)監督と僕と4人で話をしたんです」。それでロッテは一転して“OK”の球団となり、ドラフトの日を待った。