身体障害者野球が繋いだ「JAPAN」への夢 健常者とプレーの自負も…高校球児の決意

4年後の代表入りを目指す小川颯介くん(左)と、2大会連続MVPを獲得した早嶋健太選手【写真:編集部】
4年後の代表入りを目指す小川颯介くん(左)と、2大会連続MVPを獲得した早嶋健太選手【写真:編集部】

千葉・志学館高の小川颯介くん「場所と仲間に恵まれた」

 9月9日から2日間、バンテリンドームで開催された「第5回世界身体障害者野球大会」。日本が2大会連続4度目の優勝を果たした大会の様子を、バックネット裏から生き生きとした表情で見つめる人物がいた。千葉・志学館高3年生の小川颯介くんだ。身体障害者野球チーム・千葉ドリームスターへの入部を決めた小川くんは「4年後は日本代表として世界大会に出てみたいです」と声を弾ませる。

 小学3年生から野球を始め、中学では強豪・佐倉シニアに入団。志学館高に進むと、硬式野球部で白球を追い続けた。今春の県大会ではベンチ入りしたが、最後の夏はスタンドから大きな声援を送り、グラウンドで戦う仲間たちをバックアップ。チームは惜しくも県大会準決勝で専大松戸に敗れ、3年生の夏は終わりを迎えた。

 ここまでは、ごく一般的な高校球児の歩みに聞こえるだろう。小川くん自身、野球をする時に自分は特別だと考えたことはないという。ただ、小川くんは先天性四肢欠損症により、生まれつき左手首から先がない。そのため、健常者よりも多くの練習と工夫を積み重ね、同じ土俵の上で勝負を続けてきた。「今までずっと健常者の中で野球を続けてこられたのも、場所と仲間に恵まれたから。今はやりきった思いがありますね」とスッキリとした笑顔を浮かべる。

 部活は引退したものの、高校卒業後も野球は続けていきたいと考えていた。仲間たちが1人、また1人と進路を決める中、「大学に行って硬式野球を続けるのか、準硬式野球をするのか、いろいろな選択肢を考えました」。そして8月、野球部の友人と一緒に向かったのが、千葉ドリームスターの体験練習だった。

練習参加で晴れたモヤモヤ「自分も一緒に日本一を目指したい」

 以前から練習見学の誘いは受けていたものの、部活の練習と重なって都合がつかず、かつ健常者の中で野球をしてきた自負もあり「何かモヤッとしたものがありました」と明かす。だが、いざ練習に加わってみると、モヤッとした気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。

「チームの皆さん、1人1人がいろいろな障害がありながらも、真剣に野球に取り組んでいる様子に驚かされました。本気で日本一を目指す姿に、このチームで自分も一緒に日本一を目指したいと思いました」

 一緒に練習に参加した友人も、右手につけたグラブで捕球したボールをポンと宙に浮かせ、グラブを脱ぎ捨てた右手でキャッチして送球するなど、今まで見たことのないプレーを目にして感嘆の声を上げるばかりだったという。

 受験勉強の合間を縫って、父と観戦に訪れたバンテリンドームでは、片腕がなかったり、両脚が義足だったり、様々な個性を持った選手たちが世界から集まり、世界一に懸ける思いを剥き出しにしながらプレーする姿に心を揺さぶられた。何かに懸命に打ち込む姿が発するパワーの大きさを知るからこそ、「僕が野球をする姿が、同じような状況にある子どもたちや、なかなか一歩踏み出せない人の力になれば嬉しいです」と思いを強くした。

思い描く4年後の姿「JAPANのユニホームを着てプレー」

 同時に、4年後にはJAPANのユニホームを着て戦う自分の姿を思い描けているという。

「未来に向けてポジティブなイメージを持つのが得意なんです。実際に大会を見たことで、自分がJAPANのユニホームを着てプレーする姿が頭の中に浮かんでいます。打球が外野の間を抜けて長打になる様子も描けました。想像というより、妄想かもしれませんね(笑)」

 大会中には、同じく生まれつき左手首から先がない日本代表の早嶋健太選手と話をし、右手から左手に持ち替えやすいようなカスタム仕様となっているグラブを見せてもらうなど交流。野球人生における次のステップに向けて、積極的に動き始めている。

 千葉ドリームスターへの正式入部は来年の予定だが、受験勉強の間も運動不足にならないよう、タイミングを見計らいながら練習参加したいという小川くん。千葉ドリームスターで目指す日本一、日本代表で目指す世界一。次なる目標は定まった。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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