神宮で鳴った“靱帯断裂の音”「ブチって」 両親からは引退の提案…慶大生が始めた就活

慶大時代の生井惇己【写真:中戸川知世】
慶大時代の生井惇己【写真:中戸川知世】

日立製作所の生井は慶大4年時に靱帯を断裂…今季から復帰

「ブラックジャックみたいですね」。痛々しい手術痕が残る左肘も笑って見せられるようになった。今年のドラフト候補に名前の挙がる日立製作所の生井惇己投手は、慶大時代の2022年に一度プロ入りを断念した。試合中に左肘の内側側副靱帯を断裂。心配した両親からは引退を提案されることもあった。

「ブチって音がしたのは覚えています。何かが壊れたような音でしたね。『ああ……もう投げられないな』って悟りましたね」

 予感がなかったわけではない。慶大の3年冬頃から左肘が疼いていた。2022年5月2日、明治神宮野球場で行われた東京六大学春季リーグ戦の法大戦。抑えだった生井は9回から登板し、2球目を投げたところで、激痛が走った。「完全に断裂していました」。動かない左腕を抑えながら、わずか2球でマウンドを降りた。

 プロ入り一本で考えていたため、頭が真っ白になった。身体を心配した両親からは「野球を辞めるという選択肢もあるんじゃないか」と言われたこともあった。それでも「思い切って投げられなくなるより怖いことはないと思って。両親にも『手術をやらせてほしい』とお願いしました」。内側側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を決断した。

 5月30日、負傷してからわずか28日でメスを入れた。「自分でも結構弾丸だったとは思いますね」と笑うが、それほどすぐにでもマウンドに戻りたかった。そこからリハビリ生活がスタート。「最初は指すら動かないので。そこからスタートでした」。起き上がるときも右手を使わなければいけないなど、神経を尖らせる毎日だった。

日立製作所・生井惇己【写真:川村虎大】
日立製作所・生井惇己【写真:川村虎大】

手術と並行して行った“就活”…和久井前監督も期待「絶対的なエースになれる」

 また、並行して“就活”も始めなければいけなかった。1年間投げられないことが決まっている選手に手を差し伸べる社会人野球のチームは少なかった。それでも日立製作所の和久井勇人前監督は「先行投資でした。絶対的なエースになれる存在」と期待。卒業前の12月に入社が決まった。

 生井も「自分はリスクが大きい選手なので。日立製作所の寛大な心に感謝したいです」。昨年4月からキャッチボールをはじめ、今は全力で投げられるようになった。昨季、チームは日本選手権と都市対抗の出場を逃した。「チームの勝利に貢献して恩返しできるように。その先に夢であるプロ野球があると思います」と意気込む。

 リハビリ期間データ班など、裏方業務を務めた。その中で、新たな気付きもあった。「自分自身の持ち味は直球かと思っていたんですが、(リハビリ後)球速が出なくなった。その中でも、抑えればいいと思って、新たな形を作るきっかけになったと思います」。復帰後はチェンジアップやツーシームも習得した。

 現在は球速も149キロまで戻ってきた。「2年間野球できなかった分を、まずは今年の1年にぶつけたい。リベンジの1年にしたいと思っています」。投げられなかった2年間は決して遠回りではなかったことを、これから証明して見せる。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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