打球直撃で動かぬ左半身…入学2か月の“悲劇” 眼帯にサングラス、覚悟貫き立った甲子園
半身が動かない「左方麻痺」を乗り越えた神戸弘陵のボールガール・今邑投手
道半ばで諦めるなど考えたこともなかった。甲子園で3日に行われた「第28回全国高等学校女子硬式野球選手権大会」の決勝に進出した神戸弘陵(兵庫)のボールガールを務めた今邑祐月投手(3年)は、白い眼帯の上にサングラスをかけ、初優勝を狙う花巻東(岩手)との一戦に臨んでいた。
聖地のマウンドに立つために地元にある全国屈指の強豪に入学。しかし、まだ1年生だった6月、打球が左のこめかみに当たり、その場で意識を失った。「起きたら病院にいて、左半身が全く動かなくなっていました。はっきりと覚えてないけど、母がそばにいて、手を握ってくれていました。一時的記憶障害でボールが当たったときのことは思い出せません」。右足だけではうまく歩くことができず、左手で握力計を握ると「7」と表示された。
症状に対する怖さ、不安、苛立ち、親に心配をかけてしまっているという申し訳なさなど、いろんな感情がぐるぐると心の中を渦巻いた。ちょうどコロナ禍と重なり、親族との面会時間は1日わずか10分。病室で1人ずっと泣いていた。左目からも涙が流れていた。
医師からは「もう野球は続けられない」と告げられた。だが、「親がずっと『焦らなくていいから、少しずつでいいから』と言ってくれて。同期も連絡してくれました。野球を辞めることは全然考えていなかったですね、野球が好きだから」と心は揺らがなかった。車いす生活をしながらリハビリに取り組み、左足や左手が動くようになり、以前のように歩いたり、ボールを握ったりできるようになった。
左目を守るためのサングラス…支えた史上初2年連続春夏連覇
しかし、新たな試練が立ちはだかった。目に入る光量を調整する「瞳孔」の機能が低下していたのだ。「退院したときに眩しさを感じて、また病院に行ったら『左目の瞳孔が開いている』って言われました。打球が当たって脳神経が悪くなったことで左片麻痺になって、その影響の一部だろうと」。それ以降、普段の生活で眩しさを感じると眼帯で左目を覆い、プレーするときには必ずサングラスをかけている。
「ケガをしたことでもっと『甲子園に立てることは当たり前じゃない』と思うようになりました。決勝まで連れてきてもらえて仲間に感謝です。眼帯やサングラスをしていても、試合を見ている人たちには、普通の、他の選手と同じように感じてもらいたいです」。
決勝進出が決まったあとにそう語っていた今邑投手は、夢の舞台でボールガールの役割を全うし、史上初めての2年連続春夏連覇達成を支えた。試合中、すぐそばでチームの指揮を執っていた石原康司監督は「サイドハンドのピッチャーで、なにもなく過ごせていたらメンバーに入れる力がある子だった」と実力を評価し、「大学でも野球を続ける。身体を大事にしながら、いいピッチャーになって活躍してほしい」とエールを送った。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)