慶大・清原ジュニアは指名あるか 24日運命のドラフト、成長の自負「戦えるレベルには…」

慶大・清原正吾【写真:加治屋友輝】
慶大・清原正吾【写真:加治屋友輝】

大学進学後に硬式野球を始め4番を張るまでに成長を遂げた

 ドラフト会議が24日に迫っている。東京六大学では明大・宗山塁内野手(4年)が“目玉”と言われ、「獲得した球団は今後15年、遊撃手に困らないだろう」との声まである。一方、大学での実績はそれほどでもないが、計り知れないポテンシャルを秘めた“将来性型”の選手もいる。慶大の清原正吾内野手(4年)、法大の山城航太郎投手(4年)は代表的な存在だ。

 20日に神宮球場で行われた東京六大学野球秋季リーグの慶大-法大2回戦は、法大が5-4で競り勝ち、連勝で勝ち点を獲得した。両チームは“ドラフト前”の公式戦を全て終え、プロ志望届を提出済みの選手たちは指名を待つのみとなった。

 慶大の清原は、もはや言うまでもなく、NPB歴代5位の通算525本塁打を誇る和博氏の長男。中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボールに所属し、野球から離れていたという特異な経歴の持ち主である。大学進学後に初めて本格的に硬式野球へ取り組み、それでいて今春のリーグ戦からチームの4番に定着した急成長ぶりは、それだけでも驚異的だ。今季は9月28日の明大1回戦で念願のリーグ戦初本塁打を、バックスクリーン左への豪快なソロで飾り、今月7日の東大3回戦でも2号ソロを左翼席へ運んだ。

 今季成績は11試合に出場し、リーグ30位の打率.200(45打数9安打)、2本塁打4打点(20日現在、以下同)。ドラフト候補生として十分な数字とは言い難い。清原自身は「満足のいく結果が出ず、4番として打てなかったことに責任を感じています」とした上で、短期間で遂げた成長の跡を振り返り、「大学で戦えるレベルには、なってきているのかなと思います」と述懐した。

 ひと昔前まで、NPBで大卒新人は漏れなく“即戦力”としての働きを求められていたが、トレーニング理論の発達などで選手寿命が伸びた近年は、必ずしもそうとは限らない。大学での成績はさておき、本格的に野球に取り組み始めたのが圧倒的に遅かった清原の伸びしろを、プロ球団がどう評価するか──。

ドラフト後に早慶戦「もう体がボロボロになってもいい」

 ドラフト終了後にも、11月9日から伝統の早慶戦を残している清原は「自分の大学野球人生の締めくくりとして、後悔がないように、もう体がボロボロになってもいい、そういう気持ちで戦いたいと思います」とも語った。かつて、2002年の日本シリーズに左足の故障を抱えながら「足なんて壊れてもいい。チームのために体を張りたい」と強行出場した父・和博氏の姿が重なる気がした。この辺りも、長年の野球ファンにはこたえられない魅力だ。

 一方の法大・山城はこの日、3-4とリードされた6回から登板。延長10回までの5イニングを4安打無四球無失点に抑えた。チームの逆転サヨナラ勝ちで、大学生活最後のシーズンにして、リーグ戦初勝利を手にした。「初勝利できるとは思っていませんでした。試合の中でチームのためにと思って投げていたら、もらえた勝利。うれしいです」と感慨深げだ。

 183センチの長身から投げ下ろす最速154キロのストレートが武器の山城だが、福岡大大濠高時代は主に内野手として活躍し、投手としては同級生の現オリックス・山下舜平大投手の控えだった。大学進学後は投手に専念し、リーグ戦デビューは3年生の秋という遅咲きだったが、ここにきて、ぐんぐん頭角を現してきた。

 現役時代に近鉄、オリックスなどで内野手として活躍した法大・大島公一監督は「投手としての経験はまだまだ少ないですが、投げっぷりがよく、伸びしろがあると思います。この身長、腕の長さなど、僕にないものを全て持っている。もともとショートを守っていたので、フィールディングの動きもいい。プロでやっていく上で大事な要素だと思います」と太鼓判を押している。

 また、元近鉄投手でNPB通算83勝右腕の高村祐氏が、今年から法大助監督に就任したことも、山城にとって幸運だった。「今まで受けたことのない指導で、ハマったものがいくつもあります。高村さんとの出会いが、自分にとってポイントになっていると思います」とうなずく。

 大学リーグに“遅れて”台頭してきた男たちは果たして、ドラフト会議でその名前を呼ばれるだろうか――。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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