何度も夢に出た「笑えない経験」 東北の無名左腕がドラフト候補まで成長した訳

八戸学院大・中道佑哉【写真:高橋昌江】
八戸学院大・中道佑哉【写真:高橋昌江】

青森・十和田市から初のNPB選手を目指す八戸学院大・中道佑哉投手

 最速150キロの本格派右腕・大道温貴投手(4年、春日部共栄)とともに八戸学院大の2枚看板を形成した中道佑哉投手(4年、野辺地西)。182センチ、75キロの細身の技巧派左腕は、特徴的な投球フォームから最速146キロのストレートにスプリット、スライダーを織り交ぜて打者を打ち取る術を持つ。生まれ育った十和田市初、同大からも青森県出身として初のプロ野球選手誕生となるか。

――ドラフトが迫ってきた今の気持ちを教えてください。

「プロを目指してから不安しかありませんでした。今は楽しみな気持ちと不安な気持ちが半々ですかね。やることをやってきたから大丈夫だという思いもあります」

――野球をはじめたきっかけを教えてください?

「テレビでプロ野球を見たからか、アニメ『メジャー』を見たからか、定かではないのですが、テレビを通して野球を見たことで自分もやってみようと思いました。『メジャー』は今も好きで、アンケートの好きな選手・目標とする選手に「茂野吾郎」と回答したところ、現実の選手にしてほしいと言われたことがあります(笑)。球が速いですし、何より、物怖じしない性格がいい。自分もそうなりたいと思い、メンタルを成長させてきました」

――十和田市立三本木中では軟式野球部に所属。ロッテの種市投手と面識があったと聞きました。

「2年生の県中総体で優勝。試合にはちょっと出ているくらいでした。3年生の時は準優勝で東北大会に出場し、3位になりました。この3年生の県大会の初戦で対戦したのが種市篤暉投手の中学校でした。種市とは小学生の頃から地区が一緒で試合をすることがありましたが、そんなに話したことはありません。また、小学生の頃は『すごいな』という印象はないのですが、中学生になると球も早くなっていましたし、バッティングも凄かったです」

――高校は八戸学院野辺地西に進み、八戸学院大・正村公弘監督と出会いました。教わったことはどんなことですか?

「高校2年の秋、八戸学院光星と練習試合をしたんです。フォームがオーバースローだったのですが、その時、正村監督から腕の位置を下げるように助言され、帰ってから練習を続けました。コントロールがよくなり、球速も上がりました。実は高校の時、野球への熱が冷め切っていたんです。就職もよぎる中、大学で続けようと思えたのは正村監督のおかげです。高校3年夏の合同練習会に参加した時は、成長できたところを見せられたかなと思いました。正村監督の助言がなかったら、今頃、野球はやっていませんでした」

2学年先輩の巨人・高橋優貴のプロ入りが契機に

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